無限より大きな無限、ヒルベルト・ホテルの日記、少年はまた歩き出す

どんな「無限」にもそれより大きな「無限」がある! 数式を一切使わずに、この「無限」についての事実を証明してみましょう。今日は、無限と、ある少年の勇気について考えます。

 その夜、父は星が地球からどのくらい遠くにあるか、どのぐらい大きいかを話してくれた。
 何千光年も遠くにある星。光が一年間に進む距離を一光年として何千年。ぼくは覚えたての無限という言葉を思った。でも、それはポテトチップスが無限にあったらいい、という時の“無限”とは違う。考えようとすると頭がしんしんする無限だ。こわいほどの無限だ。ぼくは父の首にしがみついた。
 今はあの時とは違う。
 父と兄にいくつもの星座の名前も教わったし、銀河宇宙の大きさも知っている。望遠鏡だって、兄がいなければ自分ひとりで使えると思う。今日だって、おうし座流星群を見にきたのだ。
 二人で望遠鏡をかついで斜面を登る。十分も登ると、昨日の雨で湿ったかやがまとわりつき、露が靴下をつきぬけ、足の指の間でうずくまった。(中略)
「もうすぐ、シリウスの季節だなあ」
 兄が東の空を見る。
シリウス、うん」
「来月になるとシリウスが東の空に顔を出す。砂漠のアラビア人はシリウスを『千の色の星』とも呼ぶんだ。見ている間に、青、白、緑、紫とプリズムみたいに色を変えるから」
シリウスって一番明るい星だよね」
「そうさ。でも、直径は太陽の二倍しかない。地球からの距離が八・六光年で、日本から見える恒星では最も近いから明るく見えるんだ」
 兄の力強い話し方はまるで死んだ父そっくりだった。
「八・六光年かぁ」
 八年前といえば、まだ父が生きていたころだ。その時シリウスを出発した光がもうすぐ地球に届く。宇宙は巨大なアルバムだ。ぼくらは宇宙の隅っこに取り残されているわけじゃない。ぼくは、“勇気”を取り戻した。

ビートたけし少年』「星の巣」より

なんと、ビートたけしの小説です。テレビや映画監督としての彼しか知らない人は、非常に新鮮な印象を感じるのではないでしょうか。

主人公の「ぼく」は、幼い頃、父親に宇宙という無限について教えられます。それまで、「ポテトチップスが無限にあったらいい」という「無限」については理解していた「ぼく」でしたが、宇宙という無限には畏怖の念を感じたようです。

そして、八年後。父親をなくし、転校先の学校にもなじめない「ぼく」は、まるで自分たち兄弟が「宇宙に二人だけとり残されたよう」な気分になっていました。そんなとき、自分が見ているシリウスの光が、まだ父親が生きていたときのものであることに気づいた「ぼく」は、勇気を取り戻します。

さて、今日は無限の話です。この物語で「ぼく」は、「ポテトチップスの無限」と「宇宙の無限」とに違いを感じたわけですが、ちょっと考えると、「無限」に種類の違いがある、というのはなんだか不思議な気もします。だって、無限って「一番大きい数」じゃないんですかね? 一番大きい数よりさらに大きい数なんてないんじゃないでしょうか。

無限についてのたとえ話でよく出てくる例を使いましょう。「ヒルベルト・ホテル」です。「ヒルベルト」というのは、このたとえを考えた数学者の名前です。このホテルは、無限個の部屋をもっています。正確に言いますと、このホテルには、自然数(1,2,3…)と同じだけの部屋がありまして、各部屋には1から番号がふってあります。

さて、ある日、ヒルベルト・ホテルは満室になっていました。ここに、1人の客が泊まりにきます。ふつうならお断りを願うところでありますが、ところが、ヒルベルト・ホテルは、満室の状態から新たに客を泊めてしまいます。いったい、どうするのか?

支配人は、こうしたのです。まず、1号室の客に2号室に移ってもらいます。同じく、2号室の客は3号室へ。3号室の客は……といっせいに移動してもらいます。すると、客の移動が終わったあとは、1号室のみが空くことになります。そこに、新たな客を泊めれば一件落着というわけです。

もっとも、こんなことは有限の部屋しかないふつうのホテルでも可能です。たとえば、12部屋しかないホテルに13人の客がやってきたとしましょう。まず、最後に来た客に、一時的に1号室に入ってもらいます。次に、最初に来た客を1号室に入れます。すると、1号室には2人の客が入っていることになりますね? で、3番目の客は2号室へ、4番目は3号室へ、……12番目の客は11号屋へ入ってもらいます。すると、12号室が空いていますから、1号室にいた13番目の客をそこに移動すればいいわけです。これで、あなたも明日からホテル王です。

さて、無駄話はやめて、ヒルベルト・ホテルに戻りましょう。今日も今日とて満員御礼のヒルベルト・ホテルに、今度は、ホテルの部屋数と同じ人数の客がやってきました。さすがに、こんどばかりは泊められないでしょうか?

そこはヒルベルト・ホテルです。今度は、1号室の客を2号室に、2号室の客を4号室に、3号室の客を6号室に……というように、自分の部屋の番号の2倍の番号の部屋に客を移動させます。こうすると、1,3,5……と奇数の番号の部屋が空きますから、ここに新たな客を泊めれば問題なしです。

以上の考察から分かることは、無限に1を加えてもやっぱり無限だし、無限を2倍してもやっぱり無限だ、ということです。うーん、てことは、やっぱり無限個より大きい個数なんて、この世にないような気がしますねえ。

さて、大人気のヒルベルト・ホテルですが、なんせ部屋の数がとんでもないものですから、支配人は、「ホテル日記」をつけて管理しています。「ホテル日記」は、その日、部屋に客が入ったかどうかを○か×かで記録したものです。たとえば、1号室は客あり、2号室はなし、3号室はあり……だった日は、「○×○……」という日記になります。

さて、このホテル日記ですが、いったい何パターンぐらいあるのでしょうか? 「○○○○○……」という満員御礼のパターンもあれば、「○×○×○……」と1部屋置きに客が泊まるパターンもあるでしょう。「無限」にたくさんのパターンがあるのは間違いないですが、ヒルベルト・ホテルの部屋の数より多いと思いますか、少ないと思いますか?

同じ疑問をもった支配人、ある日、客をしめ出して実験します。とにかく考えつくすべてのパターンの日記を紙に書いて、ホテルの部屋に1枚ずつ置いていったのです。たとえば、1号室には「○○○○○……」と書かれた紙を置き、2号室には「○×○×○……」と書かれた紙を置き、……といった具合です。

さて、こうして、すべての部屋に、あるパターンが書かれた紙が置かれることになりました。もし、書き残したパターンがなければ、「ホテル日記のパターンの個数」でも、やっぱり「ヒルベルト・ホテルの部屋数」を超えることはできなかった、ということです。

ところが、絶対に書き残したパターンが存在するのです。絶対に、です。

手元に1枚紙をもって、1号室から順に部屋を見てまわりましょう。そして、1号室に置いてある紙の1番目に書いてある○×の記録を見ます。それが、もし○なら×を、×なら○を、手元の紙に書いてください。次に、2号室の紙の2番目の○×を見て、同じことをします。以下、同様に、n号室の紙のn番目の記録を見て、その○×を逆転させたものを、手元の紙のn番目に書いていきます。

たとえば、今、1号室に「○○○○○……」と書かれた紙が置いてあったとします。1番目は「○」ですから、手元の紙には「×」と書きます。次に、2号室に「○×○×○……」があったとします。この2番目は「×」ですから、手元の紙の2番目のところに「○」と書きます。手元の紙は「×○」となったはずです。これを無限に続けます。

こうしてすべての部屋を見終わったとき、手元には新しいホテル日記のパターンが残されるはずです。このパターンが、既にどこかの部屋に置いてある、ということは考えられるでしょうか? たとえば、39号室に同じパターンが書かれた紙が置いてある、ということはありうるか? ありえません。なぜなら、手元のパターンと39号室のパターンは、39番目の記号が異なっているはずだからです。

では、この新しいパターンを、さきほど無理矢理客を泊めた要領で、ホテルの適当な部屋に入れてしまえばどうか? 同じことです。また、1番目から部屋をまわって、新しいパターンをつくり出すことができるでしょう。つまり、「ホテル日記のすべてのパターン」は、どうがんばっても「ヒルベルト・ホテル」に収めることができないのです。

ということは、「ホテル日記のパターンの個数」は「ヒルベルト・ホテルの部屋の個数」よりもたくさんある、ということになります。無限より大きい無限があったのです!

「ポテトチップスが無限にある」の「無限」は、「ヒルベルト・ホテルの部屋の個数」と同じ大きさだと考えていいでしょう。この無限の大きさは、自然数の個数、偶数・奇数の個数、有理数の個数などと同じであることが分かっています。

一方で、「ホテル日記のパターンの個数」は、ここでは詳しく説明できませんが、実数の個数、3次元空間にある点の個数などと同じ個数であることが証明できます。宇宙にあるすべての点の数と同じ個数なのです。これを数学では、\alephと書き、「アレフ」と読みます。某宗教団体とは何の関係もありません。

ビートたけしの小説の中で「ぼく」が感じた、「考えようとすると頭がしんしんする無限」「こわいほどの無限」は、\alephアレフのことだったのかもしれません。

では、\alephアレフよりもさらに大きい無限、というのはあるのでしょうか? 実はあるんです。宇宙にある、すべての点の個数よりも大きい無限です。今度は、それを見ていくことにしましょう。

宇宙というのは、空っぽの空間ではありません。そこに原子やら何やらがあるわけです。ある状態の宇宙の、ある1点を指定したとき、そこに原子があるかないかが決まります。もっとも、量子力学とか言い出すといろいろややこしいのですが、素朴にいきます。

宇宙の各点ごとに、原子があるかないかを決めていけば、とりあえず宇宙の「状態」が1つ決まることになります。こうして、考えた「宇宙の状態の数」は、もちろん無限通りありますが、これは「宇宙の点の個数」と、どちらが大きいでしょうか。

もう、お分かりかと思いますが、「状態の数」のほうが大きいです。証明は次のように行います。

恒河沙こうがしゃ」という数をご存じでしょうか。1のあとに0が52個つづく数です。一説によれば、この数は、ガンジス川の砂の1粒1粒にまたガンジス川が流れていたとしたとして、その膨大のガンジス川の砂をすべて集めた個数であると言われています。インド人は、とんでもないこと考えます。

これと同じように、宇宙の1点1点すべてに、また宇宙があると想像してください。宇宙のある1点を拡大すると、その中にまた宇宙が見えるという状況です。別の1点を観察すると、また別の姿の宇宙が見えてきます。恒河沙宇宙とでも呼びましょうか。

このとき、「宇宙の状態」のありえるパターンすべてが、恒河沙宇宙のどこかの点の上に観察できる、というようにできるでしょうか。なんかもう想像力が追いつかないかもしれませんが、実は、これ、さっきのヒルベルト・ホテルの話と同じなのです。「客」のかわりに「原子」になっただけです。

ということは証明もまったく同じです。恒河沙宇宙のある点pを拡大したら、ある状態の宇宙が見えてきたとします。その見えてきた宇宙の点pに原子があったとしたら、手元の(!?)宇宙の点pには原子が置かないことにします。逆に、見えてきた宇宙の点pに原子がなければ、手元の宇宙の点pには原子を置きます。こうして手元に新しくできた宇宙の状態は、恒河沙宇宙のどこにも見いだせないはずです。

ということは、「宇宙の点の個数」より、「宇宙の状態の個数」のほうが大きいことになります。\alephアレフよりも、さらに大きな無限です。

この議論は、どんな「無限」に対してもでも使えるはずです。ということは、なんと、どんな「無限」よりも大きな「無限」が存在する、ということです!

このあたりの話は、19世紀の数学者カントールが、ほぼ独力でつくりあげたものです。今日お話した「ヒルベルト・ホテルの日記」「恒河沙宇宙」で使われたアイデアは、「カントール対角線論法」と言われています。彼の有名な言葉に、「数学の本質は、その自由性にあり」というものがありますが、数学者の想像力というものには、ちょっと驚嘆させられます。

ところで、このカントールの発見は、数学に大問題を引き起こすことになります。どんな「無限」よりも大きな「無限」が存在する。それはいいとして、では、すべての「無限」を集めて集合をつくり、その個数を考えたらどうなるのだろうか? このパラドックスをめぐって数学は大きな危機に見舞われるのですが……、それはまた別のお話です。

ビートたけしの小説で、「ぼく」は、シリウスの光から死んだ父の記憶を思い出しています。あまりにも遠すぎて、地球からはただの1点にしか見えない星の光ですが、「ぼく」には父親が生きていた幼い日々が見えているのです。それは、まるで、さきほどの恒河沙宇宙のようです。主人公の「ぼく」が見ているものは、幼い日々に見た\alephアレフを超える、さらに大きな無限なのかもしれません。

その懐かしい日々を勇気に変えて、少年はまた歩き出します。無限という世界の果て、それを越えて、少年は成長するのです。

勉強すると叱られる、黒くなければ鴉でない、雪がとけたら春になる

カラスを一羽も見ないでカラスについて語ることはできるか? 「雪がとければ水になる」と「雪がとければ春になる」は、何が違うのか? 今日は、論理学のトピックを紹介しながら、数学の「普遍性」について考えます。

 私は「ある時間、待ってみる力」をふるい起こすことが、子供には必要だ、といいました。それは、子供にはもちろん、大人にとっても、生きてゆくうえで、本当に難しい問題にぶつかったとき時、一応それを括弧に入れて、「ある時間」おいておく、ということなのです。そうやって、生きてゆくという大きい数式を計算し続けるのです。初めから逃げる、というのとは違います。
 そのうち、括弧のなかの問題が、自然に解けてしまうことがあります。括弧のなかの問題をBとすれば、「ある時間」待っている間も、とくに子供の時、私たちはそうしてもすっかりそれを忘れていることはできません。そうしながらも、いつも心にかかっていて、思い出されます。しかし、その苦しい時、具体的な問題や特定の人のことじゃなく、Bという記号に置きかえて、――Bがまだ解決できていないけれど、もう少し待ってみよう、と考えることにするのです。
 それだけでどんなに気持ちが軽くなるか、私は幾度も経験してきました。いまもある記号に最悪の「いじめっ子」の顔が代入できるほどです。
 そして「ある時間」たって、括弧をといてみても、まだ問題がそのままであれば、今度こそ正面からそれに立ち向かってゆかなければなりません。しかし、子供のあなたたちは、なんとかしのいだ「ある時間」のあいだに、自分が成長し、たくましくなっていることに気づくはずです。そこが数学の場合と違います。私はとくに高校のころから大学を卒業するあたりまで、そのようにやってきました。そして、現にいま、生きています。

大江健三郎「『自分の木』の下で」より

大江健三郎らしい、透明にして美しい比喩です。

確かに、数学においては、数式のある部分を「括弧に入れる」ことで計算が簡単になることがあります。方程式の両辺に同じ式が現れて消去できたり、分子と分母に同じ式が出てきて約分できたりする。人生もまた同じく、「難しい問題」を括弧に入れて置くことで、解決できることがある。

しかし、ここには数学と違う点がある、と大江健三郎は指摘します。

難しい問題を括弧に入れて計算を続けるうちに、「自分が成長し、たくましくなって」いく。だから、結局、括弧の中が消えずに残ったとしても、「今度こそ正面からそれに立ち向かって」いける。そこが数学と違う。

数学の立場から言えば、括弧の中に入れた部分が消えず残り、そのまま計算するはめになったとしたら、それは失敗です。まあ、計算の見通しがよくなったりはしたかもしれませんが、ともかく本質的な解決にはなっていない。ところが、大江健三郎は、この数学的には無意味な場合でも、人生という数式においては、ちゃんと本質的な解決になっている、というのです。

ここには、数学にはないけれど、我々の生においては確かに存在するものが、はっきり姿を見せています。それを考えるのが今日のテーマです。

話をかえまして、みなさん「対偶」という言葉をご存知ですか? あー、なんか高校のときやったかも、というぐらいの記憶はありますでしょうか。

簡単におさらいしましょう。「星が見えるなら、夜である」というような「Pならば、Qだ」という形の文章を考えます。今、「夜でない」状態だったとしましょう。「星が見える」のなら必ず「夜である」のですから、今「夜でない」のなら「星は見えない」はずですね。ということは、「夜でなければ、星は見えない」ことが分かります。……あったり前ですな。

これを一般化すると、「Pならば、Qだ」という命題(真偽のはっきりした主張)が成り立つときは、必ず「Qでなければ、Pでない」という命題も成り立つ、ということです。この「Qでなければ、Pでない」を、元の文章の「対偶」というのでした。「やさしくなければ生きていく資格がない」の対偶は「生きていく資格があるやつはやさしい」です。元の命題が正しければ、対偶も正しくなります。

「ネコは可愛い」の対偶はどうでしょうか。これは「その動物がネコであるならば、その動物は可愛い」ということですから、対偶は「その動物が可愛くなければ、その動物はネコではない」です。すなわち、「可愛くなければ、ネコではない」。

「対偶」とよく似ていて、間違えやすいのが「逆」です。「Pならば、Qだ」という文章のP,Qの順番を交換して「Qならば、Pだ」としたものが「逆」です。「星が見えるなら、夜である」の逆は「夜であれば、星が見える」ですが、これは正しいとは言えません。曇ってれば見えませんね。「ポチならば、犬」ですが「犬ならば、ポチ」ではありません。つまり、逆は必ずしも真ならず、というわけです。

また、「Pならば、Qだ」という文章に対して、「Pでないならば、Qでない」を「裏」といいます。「裏」は「逆」の「対偶」です。「星が見えるなら、夜である」の「逆」は「星が見えないなら、夜ではない」ですが、これもやはり正しくありません。

なんだかいろいろ出てきて混乱してきたと思いますが、とりあえず、元の命題と対偶は同じことを言っている、ということだけ確認してください。逆とか裏は適当に理解しておいてください。私も、どっちが逆でどっちが裏だかすぐ忘れます。

さて、このような「対偶」とか「逆」とかの区別は、ある程度の論理思考に慣れた人なら別に難しくない思われるのですが、どうもそういうわけでもないようです。このあたりから、「数学的思考」と世間一般の「論理的思考」のギャップが想像できて、なかなか興味深いです。

例えば、芥川龍之介の「侏儒の言葉」にこんな箴言が出てきます。「艱難かんなんなんじを玉にす。――艱難汝を玉にするとすれば、日常生活に、思慮深い男は到底玉になれない筈である。」 ってことは、自分からトラブルを招きよせる粗忽者だけが玉になれるというわけですか。なるほど、これは面白い。

面白いですが、論理的には間違っています。「艱難汝を玉にす」というのは、「艱難を味わったならば、玉のように輝く人になれる」ということでしょう。「侏儒の言葉」で言っているのは「艱難を味わったことがなければ、玉のように輝く人にはなれない」ということですから、これは「裏」です。裏は必ずしも正しくありません。艱難を味わわなくとも、玉になれるかもしれないからです。

小谷野敦は、著書『なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察』の中で、「何の罪もない人を殺してはいけない」の対偶は「罪のある人は、殺してもいい場合がある」である、と書いたそうです。これは「裏」ですね。また、内田樹はブログで「対偶」の意味を知らなかったことを書いています。

このような論理的思考に対する理解のなさは、ちょっと不思議な感じがします。

単に、思考力が不自由だからでしょうか? 例えば、「個人情報保護法」をテーマにしたある講義の中で、「法曹学界の第一人者」の論理的思考力が非常にヤバかったという事例。その「第一人者」は、「過去6月以内のいずれの日においても5千を超える」の否定を「過去6月以内のいずれの日においても5千を超えない」としたそうです。マジっすか。こりゃ単なる馬鹿です。

しかし、芥川はもちろん、小谷野敦内田樹といった思考の手練たちがこぞって間違えているのを見ると、どうも単なる能力の問題でもなさそうです。むしろここは、数学的な論理と異なる論理の存在をかぎつけるべきでしょう。

では、数学的論理とは異なる論理とは何でしょうか?

まず非常に有名な例から。「彼は、叱られないと勉強しない」というのは、多くの人にとって身におぼえがあることでしょう。では、この対偶は何でしょう? 「Pならば、Qだ」の対偶は「Qでないならば、Pでない」でした。ということは? えーと、「彼は勉強すると叱られる」。あ、あれ?

タネ明かしは、時間の流れに注目することです。最初の「叱られないと勉強しない」では「叱られない」という出来事が前にあり、「勉強しない」が後でした。ところが、「勉強すると叱られる」では、「勉強する」が前、「叱られる」が後のように読めてしまいます。つまり、時間構造が壊れていて、正しく対偶になっていないのです。

そこで、時間の流れも含めて正しく対偶を取ると次のようになります。「彼が勉強していたとすると、その前にだれかに叱られてたはずだ」。これなら、まったく問題ないですね。

この例から分かるのは、日本語の「Pならば、Qだ」という文章には、時間の前後関係が入っているということです。

さて、次は、「ヘンペルのカラス」という話です。「すべてのカラスは黒い」という命題の対偶は「黒くないものはカラスではない」です。では、この対偶を「観察」によって確かめましょう。

とりあえず、あなたの部屋にあるものを一つずつ拾って、この対偶命題が正しいことを確かめてください。「黒くないものはカラスではない」証拠が次々に見つかるはずです。おそらく、部屋から一歩も出ることなく、何千個もの例が見つかるでしょう。しかし、それによって、元々の「すべてのカラスは黒い」という命題を確かめたことになるのでしょうか?

部屋から出たって同じことです。世界中をかけまわって「黒くないものはカラスではない」ことを確かめたところで、結局、カラスを一羽も見ていないかもしれないのです。つまり、カラスを見ずにカラスについて語ることができるのは変ではないか?

このような例を見ると、対偶がもとの命題と等しい、というのは本当なのか?という疑問が湧きます。カール・ヘンペルによって提起されたこの問題を「ヘンペルのカラス」といいます。

数学においては、「ヘンペルのカラス」はまったく問題になりません。なぜなら、数学においては、「すべて」を確認できるからです。数学では「どんな整数nを取っても……」とか「任意の連続関数f(x)に対して……」とか「pを勝手な素数とする」などの言葉が頻出します。「すべて」について語れる、というのは数学の大きな魅力です。

ですから、数学においては、「すべての黒くないもの」を観察し、それがことごとく「カラスでない」ことを確認できるわけです。このとき、当然、「すべてのカラスは黒い」と言っていいことになります。カラスを一羽も見ていないのにです!

余談ですが、Wikipediaの「ヘンペルのカラス」の項には、「『全てのカラスは黒い』と『カラスは存在しない』という、論理的に全く相反する仮説が、共に否定されずに残される。これは明らかにナンセンスである。」と書いてありますが、この2つの命題は「論理的に全く相反する」わけではありません。「カラスが存在しない」とき、「全てのカラスは黒い」は常に真となり、両立するからです。まあ、「ナンセンス」ではありますが。

ふつう、現実世界で何ごとかを主張するとき、それが世界の「すべて」のものに対して通用することを確認するのは、ちょっと難しいです。「まだ100%確認できていませんが、今のところ99.9999%は正しいことが分かっています」というレベルで話をするしかないわけです。ですが、数学だけは、その命題が「今」どこまで確かめられているか、という思考から抜け出ています。数学にあるのは、その命題が真か偽か、だけです。

これらの例を見ていくと、どうやら、数学的な論理には「時間」というものが存在しないのではないか、ということに気づきます。

今までに見た3つの例は、すべてそのような例でした。もっと分かりやすい部分を取り出せば、「1+1=2」は、いつでも、何年経っても「1+1=2」である、ということです。これは数学の普遍性と言えます。

「雪がとければ水になる」と「雪がとければ春になる」の違いは何でしょうか? 前者の対偶をとると、「水になっていなければ雪はとけていない」ですから、これはいつでもどこでも正しい命題でしょう。一方、後者の対偶は「春にならなければ雪はとけない」ですが、よく考えてみると、この命題が意味をもつのは、冬、雪にかこまれて春をまつ季節の中で、だけなのです。

時間を超えた論理と、時間の中で意味をもつ論理の2つがあるようです。一般に前者の論理は数学的な、普遍的なものを目指す論理といえるでしょう。

ところで、大江健三郎が、ノーベル賞を受賞したころだったと思います。彼がテレビのインタビューで、「スピノザを読みたい」と言っていたのを聞いて、私はちょっと違和感がありました。スピノザと言えば、17世紀の哲学者じゃありませんか。例えば、現代の物理学者が、ニュートンの『プリンキピア』を研究したい、と言うことはまず考えられません。

帝京大学助教授の小島寛之の話です。彼は若い頃、数学科に所属していました。指導教官に研究の方向性を聞かれ、フェルマー(17世紀の数学者)の数学について研究したいと言ったところ、指導教官に「そんな古いことをやってどうする」と一笑に付され、「楕円曲線」や「モジュラー形式」などの、より新しい理論を薦められたそうです。「殺意」が芽生えた、と小島は書いています。

しかし、フェルマーが残した二十世紀数学最大の難問、フェルマーの最終定理は、まさに「楕円曲線」や「モジュラー形式」などの理論の進歩によって解かれたのでした。してみると、やはり、フェルマーの残した問題はともかく、その数学的業績は今では「古い」ものであり、あらためてふり返る価値のないものなのでしょうか。

こうなると、「普遍」とは、なんなのだろうという気がします。その定理は未来永劫真実であるにしても現代の数学者にはもはや顧みられることのないフェルマーと、21世紀の大文豪によって今も新しい意味を汲み出されるスピノザは、どちらが「普遍的」なのか。そんなことを考えてしまいます。

というわけで今回は、数学的論理は「時間」を超越している、ということを見てきました。人は、時間の中で生きる存在でありながら、しかし、同時に時間を超えたものに憧れる存在でもあります。その考えてみると、このようなさまざな論理の形は、どれも人間の一つの姿なのだと、私には思われます。

原爆は本当に8時15分に落ちたのか、止められた時計、14万の歴史

8時15分で止められた時計

1945年8月6日、広島において人類最初の核攻撃が行われました。原爆が投下された時刻、8時15分は子供でも知っております。ところが、この「8時15分」という時刻に疑いをもつ被爆者たちがいます。今日は、原爆が投下されたあの瞬間、人類が何を失ったのかについて考えます。

 「お母さんはねえ、どうもあの時から、神経過敏になってね。あんな音を聞くと、つい、さっきのようにあわててしまって……」
 「あの時からって、あの原爆?」と私はたずねた。
 「ええ」と答えると、母は縫い物の手をやすめて、私の顔をじっと見つめた。
 私は自然母の顔から視線をそらした。

長田新編『原爆の子』より

「時事ネタ」という言葉を知らぬ当ブログ。秋の気配すら感じるこんな時期に「原爆」ネタです。この時点で、3人ぐらいしかついてきてないような気がしますが、がんばります。

広島市に原爆が投下されたのは、8時15分。これは、もはや国民的常識といっていいでしょう。そして、この数字を疑う理由などこれっぽっちもありません。なんといっても、わずか60年前、数十万人が直接体験した歴史的事件なのです。こんなことをいちいち疑っていたら、正常な社会生活は送れません。

ところが、これを疑問をもつ人がいました。中条一雄『原爆は本当に8時15分に落ちたのか―歴史をわずかに塗り替えようとする力たち』です。一見、トンデモ陰謀論かと思わせるタイトルですが、さにあらず。元新聞記者らしい、足で集めた地道な情報でかためた労作です。

中条自身も被爆者です。同窓会はいつも最後には原爆の話題になるといいます。あるとき、中条の友人の一人が、原爆は、実は8時6分に落ちたのだと言い出します。これがすべての話の発端でした。

その友人は、原爆投下の日、高級時計ロンジンを友達から預かっていました。毎朝NHK時報を聞いて時刻を合わせるのが習慣でした。被爆直後、時計が壊れていないか心配で反射的に時計を見たそうです。「八時六分を鮮明に覚えている。絶対に間違いない。」

うーん、しかし、あの混乱の中ですからねえ……。

ところが、中条は、その後さまざまな証言をかきあつめ、資料をあさり、施設を訪れ、8時15分という定説に、実は明確な根拠がないことを明らかにしていきます。詳しくは原著にあたってください。

しかし、この本、あまり話題になっていないようです。私の知る限りでは、finalventさんが何度か言及されているぐらいです。

まあ、無理もないところです。なぜかといいますと、この本、結局のところ、「ではいつ原爆が落ちたのか?」という質問に答えを出せなかったんですね。これはがっかりです。我々一般大衆がほしいのは、「答え」ですよ。真実を常に探求する姿勢こそが大切だ、というのはありがたい教えですが、やっぱここはスパッと「本当は8時6分に落ちた」って言い切ってくんないとさー。そしたら「97へぇ」出して、ぐっすり寝られるというものです。

ところで、私は上のほうで無造作に「8時15分に根拠がない」と書き散らしたわけですが、しかし、反論が山ほど来そうです。例えば、原爆資料館にある、8時15分で止まった時計はどうなのか? 右上に写真をあげておきましたので、御覧ください。これは『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』に掲載されている写真を私が勝手に撮影したものです。見覚えありますよね?

当然、中条も、この時計については考えています。ちょっと『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』の議論のサンプルとして、この懐中時計について考えてみることにしましょう。

まず、中条は、時計が動きを止める外的な原因を考えます。原爆のエネルギーは、爆風の衝撃波、熱線、放射線の3つの形で放射されました。原爆資料館の時計は、ゼンマイ式の懐中時計ですから、止まる原因は、熱か爆風です。

中条は、熱によって時計が止まるのは、火災により時間をかけて時計が熱せられた場合である、としています。実際、中条は自宅から父が愛用していた焦げた懐中時計を発見しましたが、それは九時半で止まっていたそうです。それにしても、実際に被爆した人だけあって、具体例がナマナマしておりますな。

でも、原爆の熱線は、爆心地の瓦を蒸発させるほどだったとか言うじゃないですか。私としては、一応、原爆の熱線で一撃停止した可能性も考えたいです。つうわけで、さくっと見積もってみます。適当に読み飛ばしてください。

Wikipediaの「広島市への原子爆弾投下」の項によれば、熱線の威力は、爆心地から1km先で1平方センチあたり23カロリーだったそうです。原爆資料館の時計は爆心地から1.6kmのものです。ここでは、大ざっぱな見つもりをしたいだけなので、1平方センチあたりの熱量を20カロリーとします。

懐中時計の大きさは、直経5cmぐらいですかね? ならば面積は約20平方センチ。正面からすべての熱線を受けたとして、20*20=400カロリー。時計が熱を吸収しやすい鉄でできていたとします。鉄の比熱は0.1。重さは? まあ50gを切ることはないでしょう。

以上の数値をもとに計算すると、懐中時計の温度上昇は、400÷0.1÷50=80度となります。さすがは原子爆弾ですね。1.6km先の物体を、ほぼ一瞬で(水が)沸騰する温度にまで熱しています。

とまあ、仰々しく計算しましたが、これは正面から熱線を受けた場合の話です。だいたい、モノは懐中時計ですから、文字通り「懐中」にあればほとんど熱は来ません。原爆資料館の懐中時計は、文字盤が白色ですし、金属光沢で反射する分も考えれば、おそらく実際の温度上昇は、この5分の1もなかったのではないか。

どうやら熱で停止した可能性はなさそうです。となると、爆風による衝撃しか考えられない、ということになります。

中条の議論に戻ります。中条は、爆風で止まったとすれば、「文字盤が歪むなど別の外部的な損傷が必ず生じるはず」である。しかし、この時計は「あまりにも損傷のなさから見て、どんな衝撃で針が止まったのか理解し難い」と指摘します。確かに、表面のガラスが完全に破壊されてふっとんでいることを考えると、針が「原爆投下時間」を指したまま止まる、というのは不自然だと、私にも思えます。

被爆に耐えた時計は、他にも何十個とあるそうです。その中で、最も「8時15分」に近いものが資料館に選ばれた、ということではないでしょうか?

それならば、この時計は、「8時15分」の根拠にはなりませんね。

このようにして、中条は、「神話」を一つ一つ潰していくわけです。その過程は、なかなかスリリングです。まあ、結局オチがつかないんですけど。

ところで、私はちょっと面白いことに気づきました。右上に貼ってある懐中時計の秒針を見てください。画像がちっこくて申し訳ありませんが、32秒あたりを指しているはずです。この時計の写真は、『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』の表紙にも使われており、そちらではよりはっきりと「32秒」が確認できます。

ところがですね。ネットにある、同じ「原爆資料館の懐中時計」の写真を見てください。ちょっとお行儀悪いですが、画像に直リンしときます。→画像1画像2

見ていただければただちに分かると思いますが、このリンク先の写真では、秒針が指しているのは「40秒」あたりなんです。なんと秒針が動いています! えー!?

時計が勝手に動くわけはありませんから、だれかが動かしたのでしょう。可能性としては、わざと動かしたか、知らないうちに動かしてしまったか、当然どちらかです。

故意に針を移動させたとしたら、それはもう、この時計の信憑性なんてハナからありゃしねえってことです。なぜ秒針の位置を変える必要があるのか、その理由はさっぱり分からんちんですが、ともかく、そんなことする人なら、長針を勝手に15分の位置に合わせるぐらいのことはするでしょう。

一方、知らないうちに針が動いてしまったのだとすれば、それは要するに、この懐中時計の針というものはそのぐらい動きやすいものだってことでしょう。であるならば、この時計が指している8時15分という時刻をうのみにするのは、実にバカバカしい話ですよねえ。

ともかく、それはやっちゃいかんだろ、という感じですな。この時計の存在意義は「原爆が爆発した瞬間に止まった時計」というところにあるのですから、たとえ秒単位だろうと、ズレちまっちゃあ興ざめでしょ。資料館の職員の方々は、ちゃんと時間合わせましょうよー。

さて、「8時15分で止まった時計」をめぐって長々と話してきましたが、結局のところ、広島に原爆はいつ落下したのでしょうか。上で書いたように、中条にもその結論は出せなかったようです。

しかし、私は話は簡単だと思います。原爆は8時15分に落ちたのだし、同時に8時6分にも落ちており、人によっては8時11分であり、またある人には8時20分かもしれず……要するに、人それぞれの時間に落ちたのです。

ああ、このペテン野郎は、ついに意味不明のブログの書きすぎで頭がイカれたか、と思われたことでしょうが、私は大真面目です。別に、相対性理論における固有時間の話などしたいわけではありません。

原子爆弾が爆発したというのは、単なる物理的現象です。今もこの瞬間に、人類の1億5000万km上空では、1秒間に広島型原爆6兆発分のエネルギーが太陽から生まれています。しかし、それは、我々にとって何の歴史の1ページでもありません。物理現象は、人間に何らかの意味をもたらして、初めてそれは歴史となるのです。

そう。歴史は、人の中にあります。

1945年12月末、放射線による急性障害がいったん収束した時点で、広島では原爆によって約14万人が死亡したと言われています。その14万人それぞれに、違う原爆が、違う世界が見えていたはずです。ならば、原爆投下時間が人それぞれ、いくつもあったって、別にいいじゃないですか。

あの日消えたのは、14万の命であり、肉体であり、笑顔であり、涙であり、絶望であり、希望であり、そして、歴史でありました。

今はただ、その歴史、1つ1つに黙祷を。

時効は必要なのか、残り4.2%の罪、消えないんだよ

日本には殺人事件の時効があります。実は、日本の警察の驚異的な殺人事件検挙率は、時効という制度に支えられているのかもしれません。だとしても、本当に時効はあったほうがいいのでしょうか? 今日は、時効という制度について考えます。

 学生時代に末広厳太郎いずたろう先生から民法の講義をきいたとき「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。金を借りて催促されないのをいいことにして、ネコババをきめこむ不心得者が得をして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのはずいぶん非人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。この説明に私はなるほどと思うと同時「権利の上にねむる者」という言葉が妙に強く印象に残りました。いま考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックのなかには、一民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味がひそんでいるように思われます。

丸山真男日本の思想』より

『日本の思想』は高校の教科書にも採用されたことがあります。作者は、政治学者の丸山真男丸山眞男)。

ここでは、「時効」という制度はなぜあるのか?という問題への一つの答えとして、「法は、権利の上にねむる者を保護しない」という卓抜した比喩による解答が与えられています。うーん、かっこいい言葉ですねえ。ヒーローもののキメ台詞に使えそうなぐらいです。

こういう優れた比喩で説明されたときは、まず眉に唾をつけるのが思考の定跡というものです。まあ、しかし、民法の時効制度に関しては、いろいろな批判はあるものの、なるほど、それなりの根拠があるようです。

現状を尊重し社会生活の安定を図ること。時間の経過とともに難しくなる立証責任を軽減すること。そして、丸山が指摘しているように、「権利の上にねむる」ことを戒めること。

丸山は、憲法十二条を引用します。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」。この条文は、「自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向かって投射したもの」だと、丸山は書きます。

ところで、ふつう我々が「時効」といって連想するものは、刑事事件の時効です。「時効寸前の逮捕劇! 老刑事の執念実る!」といったベタなやつですな。こちらは、「公訴時効」といいます。こいつの存在意義も、民法の時効と同様に考えていいでしょうか?

問題点をはっきりさせるため、ここでは特に、殺人に対する時効を考えましょう。公訴時効については、「権利の上にねむる」という比喩は、当然ながら通用しません。犯人を探しに行かなかった被害者が悪い? そんなわけがありません。キョンシーにでもなって、犯人を襲えということでしょうか? つうか、最近の若いやつはキョンシー知りませんが。

日本では、殺人事件に時効があります。最近、法改正がなされ、以前の15年が25年に延長されました。それでも、例えば、アメリカやイギリスには、殺人の時効はありません。

今年2月にアメリカで「日本は法治国家か」と題する新聞記事が掲載されました。書いたのは、ニューヨークタイムズのオオニシ記者です。……ああ、まだ帰らないでください。記事自体はけっこうまともなものでして、殺人事件が時効になった被害者遺族のやりきれなさを伝えています。

確かに、被害者の家族の悲しみに時効はない、とはよく言われる台詞です。

公訴時効の存在意義はどこにあるのでしょうか? ネットをざくっとめくってみますと、百家争鳴という感じですが、法学的には、次の二つの説が中心のようです。

まずは、時間の経過とともに処罰の必要性がなくなるという説(実体法説)。そして、時間がたつと証拠が散逸し、公正な裁判が難しくなるという説(訴訟法説)。

前者は、時効になるまで逃げまわった犯人は十分罰を受けたはずだ、とか、事件の社会的影響は小さくなっている、とかいう議論ですね。しかし、これは、やはり誰でも反論したくなるところでして、犯人に同情する必要なんかないよ!とか、遺族の悲しみは続くんだよ!などの声があがっています。

後者については、それなりに合理的な話です。例えば、ある日、無実の私のところにお巡りさんが来まして、20年前の殺人事件の容疑をかけてきたとします。このとき、私はどうやって自分のアリバイを証明すればいいのでしょうか? オレは人なんて殺してない! 20年前っつったら、友達の家でウンコもらしたことがあるけど、だれも死んでないよ! なるほど、では、あなたのウンコが致死的な臭さでなかったという証拠は? いや、ないです……。

しかし、この証拠保存の難しさについても、科学捜査の進歩などで状況が変わってきています。例えば、DNA鑑定です。現在のDNA鑑定の精度は、日本人全員の中から一個人を特定できるぐらいの精度まで上がっています。例えば、「DNA 型鑑定による個人識別の歴史・現状・課題(リンク先pdf)」という論文には、DNA鑑定が実質的には「1億8000万人に1人」を超える高い識別力をもっていることが述べられています。

ここまでくると、鑑定技術が間違っていることよりも、鑑定した科学者が間違ってる確率のほうが高そうですから、ほとんど十分すぎる精度です。というか、1億8000万分の1を疑うのであれば、自分の記憶が実は間違っていて、ひょっとしてオレ、人殺しちゃったんじゃね?という疑いをもったほうが合理的だ、とすら言えます。

私がネットを巡った印象では、公訴時効の存在意義について疑問をもつ人は非常に多いようでした。

ところで、別役実がその著書『犯罪症候群』の中で面白いことを書いています。いわく、時効という制度は、犯罪者と捜査官に独特の緊張感を与えて、その本分を自覚させるところに意味がある、というのです。

なぜ、死刑の時効がわずか15年(当時)なのか? それは、「法はおとなしく刑に服するよりは、逃げまわる方が労苦が多いと判断したのであり、当然、その労苦に報いなければならないと判断したのである。」「つまり法はここで、犯罪者の逃げまわることを暗に促しているのであり……」

いやあ、この別役の視点はなんともシニカルというか、コミカルというか。

ネット上では、別役と違ってもう少し直截に、警察の怠慢を指摘する声もありました。いわく、時効などは警察が自らの捜査の不手際をごまかすためのものである。連中に時効など与える必要はない、もっと働かせるべきだ。だいたい検挙率だって落ちまくってるじゃないか。なるほど、確かに、ここ10年間で、日本の警察の検挙率は激減しました。

こういった議論を見ていて、ふと心配になったのですが、ひょっとして、日本の警察の殺人事件の検挙率の高さというのは、意外と知られていないのでしょうか? 警察白書によれば、殺人事件の検挙率は、ここ10年、95%前後をキープしています。これは他国と比較して、そうとうな高率です。

ICPO(国際刑事警察機構)の調査を引用したサイトによれば、日本以上の検挙率をあげている国は、ほとんどが人口10万人以下の小国であることが分かります。

時効のないイギリスは検挙率89%です。89%と95%だとあまり違わないような気がしますが、見逃がされる殺人犯の割合が2倍以上違う、というふうに考えればけっこう違います。アメリカは62.4%。ああ、日本人でよかったですねえ。ちなみに、検挙率が日本並みに高いドイツには、殺人の時効があります(30年)。ただ、ナチスの犯罪には時効がありません。

もっとも、「検挙率」というのは、そうとういい加減なデータでして、細かい数字の比較に意味はなさそうです。検挙率とは、その年に認知された事件数と、その年に犯人が検挙された事件数の比なのですが、これはそれぞれ全然別の事件ですので、検挙「率」といいながら、そもそもなんの割合にもなっていません。

ということは、検挙率が100%を超えることも理論にはありえるのではないか、と思った方は鋭いです。「衆議院議員長妻昭君提出全国警察署の検挙率格差に関する質問に対する答弁書」という名前の長ったらしい資料によると、平成14年の徳島鷲敷町警察署の検挙率は、838.5%! 鷲敷町警、優秀すぎです。この町で1回罪を犯すと8.385回逮捕してくれます。

犯罪白書の第2図を見ると、平成元年あたりと平成12年前後に、明らかに不自然な検挙率の落ち込みがあります。これは、検挙率を維持するためだけに軽微な犯罪を検挙するのをやめたことと、被害者の申し出を積極的に受理する方針に変えて認知件数が増加したことが原因と言われています。

ということは、検挙率が落ちたといっても、犯罪が増えたわけでも、警察が無能になったわけでもないということです。ならば、検挙率という数字は意味がほとんどありません。統計データとしては、かなり質の低いものです。まあ、全国のがんばってくれるお巡りさんの汗と涙の結晶ですし、税金でこういうデータを出すのも目をつぶりましょう。

えーと、ちょっと脱線してしまいました。ともかく、検挙率自体はアテにならないとはいえ、殺人の検挙率に限定すれば、数値自体が毎年ほぼ一定ですし、その定義も変動していませんから、十分参考になります。

ここ10年間の年間殺人件数は、平均して約1340件。検挙率の平均のほうは、95.8%です。単純に計算して、毎年、約56件の「未解決事件」が発生します。2000年度の殺人罪の公訴時効の件数は60件だった(法務省『検察統計年表』)そうですから、まあ、だいたいこんなものなのでしょう。

で、時効の話なのでした。

殺人事件の時効をなくすというのは、端的には、この残り4.2%の犯罪をいつまでも追及する、ということです。このとき、検挙率は上がるでしょうか? 単純に考えると、今までやめていた捜査をやめずに続けるわけですから、検挙率は上がるに決まってます。しかし、警察の使えるヒト・モノ・カネが有限であることを考えると、そうはいきません。

例えば、あなたの恋人が殺されたとします。復讐に燃えるあなたに、警察が特別に捜査に参加する許可をくれました。ただし、参加できるのは、次のどちらかの時期に限定されます。すなわち、事件発生直後から1年間、または、事件発生15年後から1年間。さあ、どちらに参加しますか?

いや、しょーもないたとえでした。事件発生直後のほうが、手がかりが残っている可能性が多いに決まってます。要するに、検挙率を上げるためには、捜査員を、「最も新しい未解決事件」にふりわけるのが最善の策なのです。だとすれば、発生後15年(改正前)を経た古い事件など捜査するのは、犯罪者どもを喜ばせるだけです。

4.2%というと、ほんの少しという感じです。しかし、たった4.2%でも、24年分が積み重なれば年間分の件数に匹敵します。ということは、殺人事件の時効を廃止して、過去のすべての事件を真面目に追いかけていると、24年後には、警察が処理すべき事件が今の2倍になってしまう、ということです。

平成16年度の国民一人当たりの警察予算額は約2万8,000円ですが、これが2倍になったらどうでしょうか。もちろん、治安というのは金の話ですむもんじゃないわけです。3億円事件の捜査には、絶対3億円以上かかってるはずですし。でも、まあ、痛い負担増には違いない。

だいたい、100の事件のうち残った4つ、なんてのは、筋金入りの難事件に決まっています。そんなものにリソースを割いて、どれだけの効果があるんでしょうか。アメリカみたいに検挙率70%以下とかいう状態なら、てめえらまだ解ける事件あんだろ!地の果てまでも犯人を追っかけろ!って感じですけど、日本のお巡りさんは十分がんばってますから、これ以上検挙率を上げるのははっきり言って難しいと思います。

で、ですね。私は、ここで「日本警察の殺人検挙率は十分高いので、時効を廃止しても検挙率は上がらない。それどころか、下がる可能性もある」ということを主張してきたわけですが、ちょっといったん、この結論は正しい、と受け入れていただいて、それでも、だとしても、時効はないほうがいい、と思ったりしませんか? 私は、ちょっと思っちゃいます。

でもでも、時効が延びたって実際つかまる犯人なんて、ほとんどいないんですよ。「……でも、時効があるとなんかイヤ」 いや、でもね、新しく発生した事件の捜査員が減るので、検挙率下がるかもしれないんですけど? 「……でも、時効があるとなんかイヤ」 あのね、だいたい厳罰主義で犯罪が減るっていう統計データなんてないんですよ! 「……でも、時効があるとなんかイヤ」

うーむ、困ったな。理屈では分かってるつもりなんだけどな。

川島武宜は名著『日本人の法意識』の中で、次のように論じています。日本人にとって、法律とは「伝家の宝刀」である。それは「人を斬るためのものでなく、『家』のかざり或いはプレスティージ・シンボルにすぎないもの」である。例えば、スピード違反の取り締まりを見よ。制限速度など、だれも守っていないではないか。そして、取締当局も「手心」を加えている。諸外国では、このようなことはない。

「道徳や法の当為と、人間の精神や社会生活の現実とのあいだには、……本来的に両者の間の妥協が予定されている」。

時効をなくしたいと思う私の気持ちも、ひょっとしたら、こういう日本人的な心情なのかもしれません。事件が風化し、犯人を捜査する合理的な意味あいがどんどん薄くなっていくという「現実」は、もちろんどうしようもない。時効という制度は、「法」をその「現実」に一致させる制度です。私は、そこに抵抗を感じているのかもしれない。

ならば、私がほしがっているのは単なる飾りなんでしょうか。「犯人を逮捕できる可能性」という「伝家の宝刀」。「捜査中です」と言いつつ、でもまあ、まず逮捕は無理だろーなーと心のどこかで諦めている状態。「現実」と一致しない「法」。高価な刀を、ただ飾るためにほしがっている。時効廃止を求めるというのは、そういう日本的な考えなんでしょうかねえ。

でも、飾りでいいじゃん、という気持ちもあるんですよね。一定期間が過ぎてしまえば、実質的な捜査なんてしなくてもいい。ただ、犯人に言いたい。「あなたがしたこと、それは消えないんだよ」、と。

人間が生きるって、そういうことなんじゃないのか。

結局なにが言いたいんだオマエは、って感じですな。申し訳ない。時効は必要なのか、それとも、いらないのか。私には正直、よく分かりません。今日は結論なしの方向で。

あの玉はどのへんが金なのか、金玉娘と金玉姫、金玉は金の玉より重し

というわけで「金玉」の話です! さっそくドン引きしてる皆さんの顔が目に浮かぶようですが、なあに、心配いりません。すぐに慣れます。キンタマー! 今日は、「金玉」という言葉のあれこれについて考えます。

 春の歌   草野 心平

   かえるは冬のあいだは土の中にいて
   春になると地上に出てきます。
   そのはじめての日のうた。

ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。
みずはつるつる。
かぜはそよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。
ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。
ケルルン クック。
ケルルン クック。

有名な草野心平「春の歌」です。教科書で読んだ人も多いでしょう。

ここに登場する「いぬのふぐり」は、とてもかわいらしい花です。特にオオイヌノフグリは、青紫色のたいそう可憐な花でして、「瑠璃唐草るりからくさ」「星の瞳」などの別名があります。

しかし、「名前」とは実に残酷なものであります。たいてい本人の知らぬうちに勝手につけられるものだけに、その意味に気づいたときの衝撃もまた大きいものです。この気持ち、近藤睦月むつき君なら、きっと分かってくれるに違いない。

とうわけで、この「ふぐり」が、睾丸こうがん、いわゆる「キンタマ」の古名であることは、よく知られております。古くは、平安中期(930年頃)に編纂された辞書『和名抄』に「陰嚢いんのう俗云 布久利」とあり、1000年以上の歴史をもつ言葉です。広辞苑によれば「ふぐり」は「ふくろ」と同源の言葉のようです。

ちなみに、「松ぼっくり」は「松ふぐり」の転であるという説があります。漢字で書くと「松陰嚢」です。さらにちなむと、アボカドの語源も睾丸の意味というのも有名です。ついでですので、もう一つ追加しますが、蘭は英語でorchidですが、この言葉の語源はギリシア語で睾丸を意味するorchisらしいです。根の形が似ているからだそうです。

「陰嚢」の「嚢」というのは袋の意味ですから、これは「ふぐり」と同じものの見方をしていると言えます。では、「睾丸」は? 『漢字源』には、「睾」は「正しくは皐と書く。のち誤って睾となった」という、面白いことが書いてあります。てことは、「皐月さつき(五月の異名)」は、タマタマの月だからMayなんでしょうか? く、くだらねえ。

さて、よく分からないのは「金玉」という言葉です。

この言葉はちょっと口に出すのがはばかられる言葉ですね。2ヶ月ほど前に、北朝鮮金正日総書記が新しい奥さんをもらいましたが、その人の名前が「金玉」でした。この「金玉」を新聞各社がどう表記したかを見ると、各紙バラバラであったようです。日経にいたっては「金オク」などという謎の交ぜ書き表記でした。なお、「金玉姫」という名前は、あちらでは別にめずらしくもない名前のようです。

「金玉」は、「陰嚢」「ふぐり」「へのこ」などに比べて、はるかに新しい言葉のようです。実際、古文で「金玉」とあったら、それは「キンギョク」と読むのが普通で、金や宝玉などの価値あるものを表します。ちょっと例を見ましょう。

藤原公任きんとう(966-1041)が撰者をつとめた歌集に『金玉集』があります。「キンタマ集」ではありません。

徒然草』の第三十九段は、財産が多ければいいってもんでもないよ、と戒める段ですが、そこには「大きなる車、肥えたる馬、金玉のかざりも、 こゝろあらん人は、うたておろかなりとぞ見るべき。」とあります。これを「キンタマのかざり」と読んで、想像力がぐるぐる回るのはお約束です。リ、リボンとか?

明治になっても、この「金玉きんぎょく」はしばしば登場します。「彼等の親たちの大多数は無学でした。……ですから、文字を有難がることは金玉のようです。」(中里介山大菩薩峠」)という具合です。幸徳秋水中江兆民の文章を「金玉文学」と賞賛しました。また、尾崎紅葉は、当時「金玉出版社」という出版社があったことを書き残しています。

「金玉」が睾丸の意味で使われた例としては、江戸時代末期に書かれた『見世物雑誌』に、「金玉娘」という両性具有ふたなりの記述があります。顔格好は女性ですが、男根があったのだとか。「右金玉の下に玉門あり」と『見世物雑誌』は書いています。

この「キンタマ」の語源には諸説ありまして、決定版はないようです。最も面白いのは阿刀田高が著書『ことばの博物館』で述べている説です。いわく、「キンタマ」はかつて「キノタマ」であり、それは「の玉」の意味である。「御神酒おみき」という言葉で分かるように、「酒」は「き」と読んだのである。では、なぜ酒なのかというと、当時の酒はドブロクで、白くてドロドロしており、それがキンタマの中に入っている例のアレと、ほら、よく似ているではないか。

大変面白い説ですが、資料的裏付けがないのが残念です。どなたか睾丸の意味で「酒の玉」を使っている例をご存じの方はお知らせください。

ネットで調べたところ、他にも、「生き玉」がなまったものだ、とか、「気溜まり」が変化したのだ、とか、はては、ぶつけると「きーん」と痛むから「きん玉」だ、とか、いろいろな説がありました。「睾丸の話」という素晴らしいページによれば、「広辞苑」の編者・新村出しんむらいずるは、「キモダマ」から「キンタマ」になったのではないかと推測しているそうです。

「金色に光るから金玉だ」ということであれば、夜道とかで便利そうですが、どうやら、そういうわけではなさそうです。ちなみに陰嚢を解剖して精巣そのものを取り出すと、白い色をしているのだとか。

ところで、「金のように価値があるから金玉だ」という説にはそれなりの説得力がありますが、私としてはこの説明には反論したいところです。以下、その根拠を書きましょう。

精巣の大きさには個人差(というか時期による差?)があると思いますが、上記「睾丸の話」によれば、「縦4センチ、横3センチ、厚さ2センチ」とのこと。どっちが「縦」なんだろう? という疑問が浮かびますが、まあ、こんなものでしょうか。だとすれば、体積は24立方cmです。

最近の金相場は1g=2500円前後であるようです。金の比重は水の19.3倍ですから、ここから単純に「精巣がすべて純金だったら」という計算をすると、24×19.3×2500=115万8000円です。左右2つで250万といったところでしょう。

では、250万あげますんでキンタマ潰していいですか? と聞かれたら、これはほとんど全男性が否と答えるのではないでしょうか? 要するに、金玉は金より価値がある。

ちなみに、Wikipediaの「金玉潰し」の項は、私が知る限り、Wikipediaで最も読むのがつらい文章です。なんか文字を追ってるだけで、いやーな汗が出てきます。女性には分からないかもしれませぬ。

せっかくなので、宦官の去勢手術がどのように行われたかを解説しているサイトも紹介しておきます。去勢手術においては、感染症に注意するだけでなく、尿道の確保もなかなか大変だったようです。なんか、もう読んでるだけで、「うわあああ(AA略)」っつう気分になります。

ともかく、金玉のほうが、金の玉よりはるかに価値があると、私は言いたい!

ところで、スペースアルクGoogleが採用している英語辞書)で"golden balls"を検索してみると、なかなか衝撃を受けます。なんと「金色の三つ玉」と説明が出るのです。なに、どういうこと? もしかして、ふつうの人は3つあんのか!?

プログレッシブ英和中辞典』によれば、「金色の3つ玉」とは「質屋の看板」のことである、との記載があります。調べてみると、サンタクロースとの関連で有名な聖ニコラウスが、貧窮していた三人の娘に3個の黄金の玉を送って助けた、というエピソードから、欧州では質屋の看板として「金色の3つ玉」が使われているのだそうです。

はあ、3人娘でよかったですね。これが2人だったら、あらぬ誤解をまねきそうです。「そこのお嬢ちゃんたち、お金がないのかい。よーし、おじさんが、この2つの金の玉で助けてあげよう!」 うん、聖ニコラウス、間違いなくただの変態です。

つうことで、今日の話題は、成人式もとうに過ぎた男が休日使って書いた文章とは思えない内容ですな。なんだか自己嫌悪に落ちたところで、筆を置くことにいたします。

日記書き・石川啄木、テキストが作る人生、ブロゴスフィアよ永遠に

石川啄木といえば、人気の高い抒情じょじょう歌人ですね。では、その啄木が書いた「ローマ字日記」の詳しい内容をご存じでしょうか? これがまたとんでもないテキストなのですよ。今日は我々にとって日記とは何かについて考えます。

四月六日 ゆうべ、私は起き上がろうとした。体が重い。一方の足が寝台の外に垂れる。やがて、その足を伝って、ひと筋の液体が流れる。そいつがかかとのところまで行きついて、やっと私は決心がつく。また布団のなかで乾いてしまうだろう――かつて「にんじん」だったあの頃のように。

これはルナールの日記の自身の終末を述べた一節だが、私は無論、ルナールが自己耽溺の作家であったなどと言おうとは思わない。ただ、自己に執着せざるを得なかった作家がその意志をつらぬいた悲痛な執念に、愕然とさせられるのである。(中略)とにかくこれは、日記が一人の人間の骨身に食いこんだ一例であるように思われる。

安岡章太郎『日記――或る執着』より

ルナールはフランスの作家です。安岡章太郎が引用した、この「四月六日」の日記を書いたとき、ルナールは46歳。死亡する2ヶ月前でした。足をつたう「ひと筋の液体」とは、言うまでもなく夜尿おねしょのことです。

ちなみに、『にんじん』はルナールの自伝的小説です。赤毛ゆえに母親から「にんじん」と呼ばれ、虐げられていた子供の物語。ある日、夜尿をした彼は、母親から、それをスープに入れて飲むよう命ぜられます。なかなか陰惨な話です。

それにしても、46歳の男性が、自分の夜尿を日記に残すとは。露悪趣味と断ずるのは簡単ですが、何かそれ以上のものもあるようです。安岡章太郎は、このような心の動きを「自己に執着する」と表現しました。

ブログの普及により、人類史上、最も簡単に他人の日記を読めるようになった現代。やっぱり「日本人にはBlogより日記」(近藤淳也)です。今日は、「日記」という表現のもつ意味について考えます。

えー、古今東西の日記の中で、最もインパクトのある日記は何か? と問われれば、まあ異論はあるでしょうが、石川啄木の「ローマ字日記」は三指に入ること確実ではありますまいか。トリビアの泉でも、「石川啄木はHな日記を妻に読まれては困るためローマ字で書いていた」で「82へぇ」を獲得したので、ご存じの方も多いでしょう。

ちなみに、トリビアの泉石川啄木が大好きらしく、「石川啄木は女だと思って男にラブレターを書いたことがある」「石川啄木は手紙で『一言も言い訳できません』と書いておきながら借金が返せない言い訳を1m33cm書いた」「石川啄木カンニングがばれて高校を中退した」などのトリビアが過去に放送されています。

このような啄木トリビアの盛況ぶりは、石川啄木に「純朴」「朴訥」「苦労人」というイメージがあるからでしょう。実際、教科書に登場する啄木、つまり日本人の大多数の頭の中の啄木は、望郷の歌を代表とする抒情歌人に過ぎません。

ここらで有名歌を引用したいところですが、キリがありませんのでリンクだけ。こちらの石川啄木の短歌を紹介したページが、すっきりまとまっていて、有名な歌はほぼ揃っているようです。「啄木の歌ってどんなんだっけー?」という人は、このあとの話の都合もありますので、ぜひ目を通しておいてください。さらに興味のある人のために、青空文庫の『一握の砂』をリンクしておきます。

せっかくですから、私の好きな歌も一つ紹介しておきます。「きしきしと寒さに踏めば板きしむ/かへりの廊下の/不意のくちづけ」。釧路くしろ時代の歌です。実に素敵な歌じゃありませんか。恋の、鮮やかな一瞬の切り口です。

しかしですね、みなさん。啄木はこの歌を詠んだ当時、既に妻がいたのです。名前は節子さんです。では、この「不意のくちづけ」の相手は、節子さんなんでしょうか? 違うんです。この歌の相手は、当時の釧路ナンバーワン芸者であった子奴こやっこなのです。

そうなんです。啄木ってのは、実は、それはそれはとんでもねー浮気ヤローなんですよ。

つうわけで、啄木の「ローマ字日記」の登場です。トリビアの泉では、「妻に読まれては困る」からローマ字にした、となっていますが、啄木自身は次のように書いています。ここは有名な箇所ですので、引用しておきましょう。

「そんなら何故なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか? 何故だ? 予は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ、――しかしこれはうそだ! 愛してるのも事実、読ませたくないのも事実だが、この二つは必ずしも関係していない。/そんなら予は弱者か? 否、つまりこれば夫婦関係という間違った制度があるために起こるのだ。夫婦! なんというバカな制度だろう! そんならどうすればよいか?/悲しいことだ!」(『岩波版・啄木全集』より)

お前はいったい何を言っているんだ? という感じですな。はっきり言って、支離滅裂です。

まあ、ともかく、読まれては困る日記であったことは間違いないのが、この「ローマ字日記」です。というわけで、「ローマ字日記」で最も有名な明治42年4月10日の日記をご覧いただきましょう*1。ちと長い文章ですんで、「強き刺激を求むるイライラした心は……」で始まる段落を探して、そこからどうぞ。あ、バリバリの18禁テキストですので、相応の覚悟の上でお願いします。一応、一文だけ引用しておきます。

「ついに手は手くびまで入った。」

さて、もう一つなかなか味わい深い部分を紹介しておきます。「ローマ字日記」の4月15日で展開されるのは、浮気を正当化する素晴らしい名言です。全男性必見です。啄木曰く、

「予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。そして予は寝た――他の女と寝た。しかしそれは節子と何の関係がある? 予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。」

惚れるね。私もいつか浮気をしたとき、「人の欲望が単一でないだけだ!」と言い放てるぐらいまでステージを上げておきたいものです。ここで「人の」と言い切ってしまうところが、あまりにもオットコマエです。そら、奥さんも、家出するっつーの。

5月8日の日記にも興味深い記述があります。急に会社に行く気がしなくなった啄木。休む口実をつくるため、なんとカミソリで左の乳の下を切ろうとするのです。で、「痛くて切れぬ」と日記には書いてあるのですが、いやー、大変に共感を呼ぶ描写です。ヘタレっぷりが最高ですな。

結局、石川啄木は、27歳で肺結核によりこの世を去ります。安岡章太郎によれば、啄木は「俺が死ぬと、俺の日記を出版したいなどと言う馬鹿なやつが出て来るかも知れない、それは断ってくれ、俺が死んだら日記全部焼いてくれ」と言いのこしたそうです。

しかし、安岡は「そういう遺言をすること自体、自分の日記を読まれることを意識していたからのものであろう」と鋭く指摘します。まったく、その通りですな。そもそも、文章として思考を外在化させている時点で、他者の目に触れる可能性を覚悟しているとしか思えないわけです。

してみると、啄木にとって、「ローマ字日記」とは何であったのでしょうか。

例えば「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」という歌から想像される啄木像と、「そして予は寝た――他の女と寝た」などと日記に書く啄木像には、あまりにもギャップがあります。これはどういうことか。

私は、さきほど「啄木は、実は、浮気ヤローでした」というふうに書きました。ここで「実は」という言葉を使いました。ということは、啄木は「本当」はいい加減な浮気ヤローで、「ローマ字日記」では、その本性が出た、ということなのでしょうか?

ちょっと脱線ぽいですが、「実は」という言葉は、あまり信用ならぬ言葉です。例えば、ふだんはとても温厚な人がいたとします。ところが、その人がこっそり犬をいじめるているのを、ある日、目撃してしまったとしましょう。すると、我々は思うはずです。「あの人は、実は、ひどい人なんだ」。この推論は妥当ですかね? だって、99回の善行と1回の悪行で、1回の観察のほうを優先するというのですよ? 無茶苦茶です。

たぶん、我々は「実は」という言葉にすごく弱いのでしょう。石川啄木は純朴な人間であるというのが常識だ。しかし、実は……と言われると、ころっとやられるのです。

ですから、ここは落ち着かなくてはいけません。「ローマ字日記」の啄木が「本当」の啄木であると考える根拠はありません。「花を買ひ来て/妻としたしむ」啄木も、「他の女と寝た」啄木も、どちらも石川啄木の書いた「言葉」に過ぎません。どっちかが「本当」の啄木であるわけではなく、どちらも、石川啄木という希代の天才がつくり出した、「もう一人の啄木」です。石川啄木という男が日記になっているわけではありません。この日記から我々が石川啄木をつくり出すのです。

となると、新しい疑問が発生します。すなわち、なぜ、啄木はわざわざあんな日記を書いたのか? 他人に読ませても何の得にもならない、それどころか、自分に不利益がありそうな内容の日記です。そりゃ、読みにくいローマ字では書いてありましたが、でも他人にも読めることには違いありません。実際、啄木の奥さん、節子さんは、啄木の死後、日記を読んじゃったらしいですし。うわー。

ともかく、啄木は、将来だれかが読むであろうという確信のもとに、「もう一人の自分」を日記の中につくり出していた、私にはそう見えます。

思うのですが、これって、我々がウェブで日記書いてるのと、同じじゃないでしょうか。

「ローマ字日記」を読んでいただいた方は、その文章の新しさに驚くでしょう。この日記が書かれたのは、ほぼ100年前(1909年)なんですよ。ローマ字という表音文字を使ったことが、口語全盛の現代語に似た雰囲気を漂わせるからでしょうか。「ローマ字日記」は、まるでどこかの自虐系ウェブ日記を読んでいるような、猛烈な既読感を感じさせます。

もちろん、違うところもあります。まず、我々は、ローマ字で日記を書いているわけではありません。読まれたら困る、とは思っていないからです。

しかし、では、なぜ我々の多くはウェブ上の文章を、架空の名前で発表するのでしょうか。ID、ハンドル、ペンネーム、なんでもいいのですが、ともかく我々は、ウェブに文章を書くとき、現実の自分とどこか切り離して文章を書いているのではないか。つまり、それが現実の自分の文章だと知られたら、困る。なのに、他人が読めるようにわざわざウェブに文章をあげるのです! 啄木と同じではありませんか。

もちろん、実名で文章を発表している人もいます。それは「強さ」だ、と私は思います。我々が啄木に共感するとしたら、それは「弱さ」に対してでしょう。そして、ほとんどの人は「弱い」のです。

そうなると、この一億総ブロガーとまで言われるこの時代であるからこそ、啄木の「ローマ字日記」はいっそう新しいのです。トリビアの泉では、単なるエロオヤジの秘密日記みたいな紹介のされ方でしたが、「ローマ字日記」には近代人の普遍的な営みがあるのです。なに、メディアがちょっとぐらい変わったからと言って、人間、そうは変わらんですよ。

というわけで、弱き人間である私も、再びブロゴスフィアに戻ってまいりました。一週間ほどごぶさたしましたが、今日から吹風日記、再開です。

*1:このサイトは、「ローマ字日記」の全文が読める、ありがたーいサイトなのですが、OCRで読みこんだテキストらしく、誤字が多いです。不審な点はローマ字のテキストで確認するとよいでしょう

旅とは何か、バスを一台乗り遅れること、見えない未来は美しい

えー、ふと「旅」について書かれた文章を探してみたところ、あるわあるわ、もの書きは、一生に一度は「旅とは何か」についての文章を書かねばならぬ、という決まりでもあるんでしょうか。というわけで、今日は、旅とは何かについて考えます。

 多くの人々に出会い、助けられながら、ぼくは二か月の旅を無事に終えることができた。終着点としていたサンフランシスコにたどり着いた日、特大のハンバーガーとコーラで、ぼくは自分自身に乾杯をした。心の筋肉というものがもしあるならば、そんなものをふつふつと体に感じていた。
 今振り返ってみると、十六歳という年齢は若過ぎたのかもしれない。毎日毎日をただ精一杯、五感を緊張させて生きていたのだから、さまざまなものをしっかりと見て、自分の中に吸収する余裕などなかったのかもしれない。しかしこれほど面白かった日々はない。一人だったことは、たくさんの人々との出会いを与え続けてくれた。その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。それは実に不思議なことでもあった。バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた。

星野道夫旅をする木』より

さて、今回のテーマは、旅とは何か、です。

日本人の旅行好きはよく知られています。平成17年の海外旅行者数は1700万人を超えています(観光白書)。また、Wikipediaによれば、修学旅行の制度があるのは日本だけだそうです。「日本における旅」についての概略を得るには、「旅研」の世界歴史事典データベースの「旅(日本)」の項がベストかと思いますが、このページによると、江戸時代の医師シーボルトは、日本は旅のしやすい国であると述べ、その理由として参勤交代の制度により街道が整備されていることを指摘しています。

上記「旅研」のページには、「近世の庶民の旅で最も盛んであったのは信仰の旅であった」とあります。Wikipediaには、日本の初期の鉄道は、伊勢への近鉄、高野山への南海、成田山への京成、高尾山への京王などというように、多くが社寺参拝のために作られたとの指摘があります。旅の本来の形とは「巡礼」であったのでしょう。

しかし、我々現代人にとっては、そのような意味での旅はありえぬものです。中野孝次は、鎌倉時代の僧、一遍上人について書いた文章の中で「われわれにはもうそういう聖なる境地はうかがい知る由もなく、従ってまた聖地もなく、できるのはただ旅に出て日常の我から離れ、『独むまれて独死す』の思いを新たに自分にいいきかせることだけである」と述べています。

では、現代の我々にとって、旅とは何か?

広辞苑によれば、「旅」とは「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと」です。ここには「住む土地」「他の土地」という対比があります。「日常」と「非日常」の対立が旅の本質であるというわけです。

池澤夏樹は「読書と旅は似ている」と指摘しています。どちらも、一時、別の自分になる行為だ、というわけです。宮脇俊三は、旅の意義とは「異質な風土、人情・風俗に接すること」であり、それによって「日本が広くなる」のだ、という表現を使っています。

それでは、「非日常」とはどういうことでしょうか?

それはつまるところ、予測不可能性、ということだと私は思います。冒頭に引用した星野道夫の文章が言う「バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っている」ということ。自分には測れぬ世界との出会い。それが旅の本質ではないか。

これは、現代の我々にとって特に意味のあることです。アルビン・トフラーは『第三の波』の中で、学校教育が行われる目的を次のように述べています。学校の目的は、決められた時間に、決められた場所で、決められた作業を黙々と行うこと、つまり、工場労働にたえうる人間を養成することだ、と。このような「管理された未来」が現代社会の特徴であるとすれば、未知なるものに出会う旅というのは、まさに現代人に最も必要とされる行為のはずです。

しかし、考えてみれば、人生とはもともと予測のつかぬものです。

亀井勝一郎は、「自分の未来というものは謎だ」「いわば道のないところに道を求めて歩いてゆくのが人生というものだ」、そして、その「求道ぐどう」の歩みが「旅」である、と言います。堀秀彦は、「私たちのこの人生にしたって、結局はいろいろな事件やいろいろな人との出会いの連続にほかならない」「だからもし私たちが旅に出ているときのような新鮮なこころのまなざしをもって、私たちの日常生活をいとなむとしたら、私たちはおそらくもっとゆたかな生活を送ることができるのかもしれない」と指摘します。沢木耕太郎は、旅においても人生においても、「もし予定通りに行かないことがあれば、その予定外の旅を楽しめばいい」と教えます。

その意味で、旅は人生の縮図です。

そうなると、初めにあった「日常」「非日常」という対立は消えてしまいます。すなわち、日常の中にも旅はある、ということです。吉行淳之介は、「近所の街角にある煙草屋に行くことも旅である。旅だとその人が思えば旅である」と述べています。

つまるところ、旅というのは、自分の人生に予測不可能なものが横たわっている、日常の中にも未知なるものがあふれている、ということを教えてくれるものなのでしょう。ついつい「世界とはこういうものだ」と決めつけてしまう我々に、旅は、別の可能性を示唆し、日常をひらいてくれるのです。

立松和平の随筆にこんな言葉があります。「未知とは美しさなのであった」。そう、見えない未来こそ美しい。

今回は、「旅」についてのさまざな引用を行いましたが、私が最も秀逸だと思う「旅」の定義は森本哲郎のそれです。いわく、「旅とは何かを見残してくることだ」。この世界には、まだ残っているものがある。自分の知らぬものがある。その可能性に気づける自分になること。日常そのものを変えてしまうこと。それが、旅だ。

というわけで、私もしばらく旅に出ることにします。一週間ほど、更新とコメントの返事をお休みする予定ですので、一つよろしくおねがいします。