なぜのび太は失敗するのか、永遠の夏休み、世界の平和を守るため

ドラえもんと言えば、たいてい最後はのび太が道具の使い方に失敗して終わります。ところが我々は、なぜかその結末に満足しているのです。今日は、どうしてのび太は秘密道具をうまく使わないのかについて考えます。

 しかし、「ドラえもん」には見逃してはならない、もう一つの重要な視点があるべきだと思うのだ。……子供のみならず大人にまで夢を与えた……本当にそうであろうか。私の知る限りでは「ドラえもん」の夢は一度もかなわなかった。次から次へと"四次元ポケット"から出てくる奇想天外な科学の小道具は、難問を解決してくれるどころか思惑に反して勝手に暴れだし、思いがけない新たな問題を引き起こしてしまうのが常である。それがギャグのメーンにはなってはいるが、そこにはただ笑ってはすまされない問題がある。(中略)
 現代の日常生活は科学文明を過信するあまり、科学に対する基本的な姿勢を忘れ去ってしまっている。便利という言葉に浮かされて、出来合いの科学を大量に買い込んで、これでもかという失敗を繰り返しても、実に平気なのである。それはまるで「のび太」の生活そのものである。
 楽することを求めるあまり、科学のなんたるかを忘れて暮らす現代の生活のあり方に浴びせた作者の皮肉な笑い。「ドラえもん」の真の面白さは、我々の日常への痛烈な風刺にあったのだ。

朝日新聞平成八年十月三日 福島憲成の文章より

朝日新聞からの引用です。実に興味深い文章ですね。まず問題設定が実に秀逸です。「ドラえもんの夢は一度もかなわなかった」。言われてみれば、その通りです。いったいなぜドラえもんの道具は役に立たないのか? これは考える価値のある問題ではないでしょうか?

福島憲成は、この問題に対して「科学に対する基本的な姿勢を忘れて暮らす我々の日常への痛烈な風刺」である、と解答します。うーん、そうなんでしょうか。この答えは、なんつうか、いかにも朝日新聞です。どんな素材から出発しても最後には自分が言いたかった内容にもっていく力技。これはこれでホレボレいたしますが、しかしなんだか腑に落ちないところです。

仮にですよ、もし「ドラえもん」という作品が、日常への「痛烈な風刺」「皮肉な笑い」であるなら、藤子・F・不二雄先生の狙いは失敗したと言わざるをえません。なぜなら、我々は「ドラえもん」の道具が何の役にも立たず終わる結末に、いつも満足していたのですから。

そうです。我々は、「ドラえもん」の、あの役立たずの道具たちが大好きなのです! この問題を解くためには、そこからスタートしなければなりません。

ところで、「ドラえもんってどんな作品だっけ?」などと首をかしげている非国民は、まさかいらっしゃらないでしょうね。そういう罪深い方は、「のび太VSドラえもん」や、「ドラえも」(Wikipediaによる解説)をご覧いただき、記憶を再生しておくべきです。こんな話ですよ。思い出しましたか?

さて、ドラえもんの道具は役に立たない、と私は書きましたが、正確に言えば、その責任のほとんどはのび太に帰すべきものでしょう。実際、ドラえもんの道具は非常に強力です。みなさんも子供の頃、一度は話のネタにしたことがあるでしょう。ドラえもんの道具があれば、どんなにとんでもないことができるか、と。

にもかかわらず、のび太のバカチンがわけのわからん道具の使い方をするものだから、いつも最後は失敗に終わるのです。いったい、あの野郎は何を考えているのか。どこでもドアがあれば、要人暗殺だろうと、銀行強盗だろうと思いのままだというのに、しずかちゃんのフロ覗いてる場合じゃないだろうが!

つまるところ、問題は次のようになります。なぜ、のび太は、ドラえもんの道具をうまく使えないのか?

馬鹿だから、という答えは非常に身もふたもなく正論なのですが、しかしみなさん、のび太が100点をとったテストを見てください。これは普通の小学4年生(原作設定)の解ける問題ではありません。「大長編ドラえもん」などでの活躍を見ても、のび太はそこそこの頭脳はもっているというべきです。

ドラえもんは一話完結だったから、その回で出てきた道具はその回で役目を終える必要があるのさ、というメタにかまえた議論もあるでしょうが、これは本末が転倒しております。道具が1回限りしか役に立たなかったからこそ、ドラえもんは1話完結なのです。

マニアな方々は「なんでもひきうけ会社」の巻を指摘するかもしれません。この巻によると、秘密道具を金儲けに使うと多大な罰金が科せられる、という設定が実はあるのでした。しかし、この設定は人口に膾炙しているとは言えません。また、ドラえもん自身、秘密道具を金儲けに使ったことがあります。ならば、ドラえもんという物語上、「秘密道具を効果的に使ってはならない」という歯止めはほとんど存在していないと言えます。

それなのに、のび太は秘密道具を役立てようとしません。いや、むしろ、わざとつまらない使い方をして、わざと失敗しているとすら思えます。そして、それを見て満足する我々! いったい、どうなっているのでしょうか。

ここで視点を変えて、他の人気番組と比較してみます。ドラえもんの連載が始まったのは、1969年。その3年前に放送されたのがウルトラマンでした。

ウルトラマンの行動原理は非常に明確です。それは古今東西のヒーローたちと同じく、悪を倒すことであります。では、なぜヒーローたちは悪を倒すのか? それは、やはり「世界の平和を守るため」でありましょう。では、「平和」とは何か? 広辞苑には「平和」の定義として「おだやかで変りのないこと」とあります。

ここで、私は、はたと気づくのです。ドラえもんの道具が、その真の力を発揮した場合、世界に何が起きるのかを。そして、のび太がなぜいつも失敗していたのかを。

そう、のび太は、世界の平和を守っていたのです!

ドラえもんの道具があれば、単機で世界を破滅させるに足るでしょう。あの道具たちは、本気で使われてはいけないのです。ですから、のび太はあえて失敗する。彼もまた、「平和を守る、子供たちのヒーロー」だったのです!

ここで、大長編ドラえもんを思い出してください。普段の1話読み切りの話に比べて、明らかに道具が役に立つ確率が高いと思いませんか。その理由は明白です。大長編ドラえもんには、ちゃんと「ラスボス」がいるからですね。

こうなると、我々がドラえもんの世界に満足する理由は、もはや明らかです。それは、「今日も世界の平和が守られた」という安堵感に他なりません!

子供にとって、この素晴らしい世界がいつまでも続いていく、ということこそが最高の「夢」なのではないでしょうか。あの、永遠に続くかのように思われた夏休み。自分が大人になる日なんて無限の彼方のように感じていた日々。そんな世界を守ってくれるヒーローたち。そうです。のび太は、やはり子供たちのヒーローなのです。