入試のアイドル、n音、妹の死

「約束したんや。嘘ついてもうたんや。エビスくんのこと神さまや言うてもうて、今日、お見舞いに連れていくから言うてもうて、アホやねん、ぼくアホやから、ゆうこに、なんでもええさかい楽しいこと考えといてほしかったんや。そうせんと、ゆうこ、死んでまうねん……ほんま、死ぬんや、ゆうこ、死ぬんや……」
 本でその字を読むときも、誰かが話しているのを聞くときとも違う。自分の口で言った「死ぬ」は、唇の外にこぼれるのではなく、喉の奥にねっとりと糸をからめながら、ぼくのなかにしたたり落ちていった。

重松清ナイフ』「エビスくん」より

入試国語のアイドル重松清です。この人の作品は、あえてすべてを書き尽くさず読者に委ねる部分、いわゆる「行間」が多いので、国語の問題がものすごく作りやすいです。省略されている部分について、どういうことですか?と問えば、一問できあがり。もっとも、書かれていない部分を問うわけなので、出題者もそれなりの緊張を強いられます。

ところで、読者が行間を埋めなければいけない文章ってのは、一歩ふみ外すと単なる「悪文」です。その点、重松清の文章は本当に手練です。「うまい」という言葉は、この人のためにあるのではないでしょうか。

さて、引用したのは名作中の名作「エビスくん」。この引用部分は、発声という行為の肉体的なインパクトをよく伝えていると思います。

ここでは「死ぬ」という発音の「ぬ」の音、「n音」の効果に注目したいです。n音は口を閉鎖して、鼻から呼気を出す音です。井上ひさしは『私家版 日本語文法』の中で、「n音は否定をあらわす」と述べ、日本語の「ない・ぬ」や、英語のnoを例にあげていました。そういうn音の特性が「唇の外にこぼれるのではなく……」以下の部分によく出ています。

井上ひさしは同書の中で、宮澤賢治の『無声慟哭』にn音が多いことを指摘しています。『無声慟哭』に収められた五編の詩では「永訣の朝」が最も有名ですが、この詩は賢治が妹とし子の死を悼むものです。一方、『エビスくん』の主人公は、病気の妹ゆうこを救うため、エビス君を必死で説得します。両作品とも妹の死というテーマなんですね。

ちょっと不思議な感じがしますが、名作は共鳴しあうのかもしれません。