あぶないテントウムシ、蒲公英・向日葵・玉蜀黍、緑はあきらめた

生きものの世界は色彩であふれています。なぜ動物たちはカラフルに着飾るのか、植物名のついた色名はどのぐらいあるのか、植物が緑色であることの謎など、今日は自然界の色彩にまつわるネタのあれこれについて考えます。

 そこで真夏の日中になると、多くの昆虫、とくに輻射熱を吸収しやすい黒い虫は、日かげに入って休んでしまう。じつは、昆虫でもわれわれと同じく体温が三十五度付近にあるのが、筋肉の収縮そのほか体の働きにとってはいちばんよい条件であるらしい。しかし、じっさいに気温が三十五度あったら、体温はそれよりはるかに上がって、命取りになってしまうのだ。(中略)
 そこで、熱帯の昆虫は、その対策を講じることを迫られる。その解決の手段は、派手に美しくなることだ。ピカピカ光る衣装を着て、できるだけ日光を反射してしまうことである。熱帯の虫が美しいのは、火あぶりの刑を避けるためなのだ。

日高敏隆昆虫という世界』より

動物がカラフルなのは、この蝶のように、たいてい生き残るための理由があります。シマウマは草食動物のくせに派手ですが、あの模様は肉食動物に最も狙われやすい夕暮れの時間帯になると周囲の草に紛れて完璧な迷彩になります。

熱帯魚が派手なのは、サンゴ礁の中では派手な色のほうが見づらいという理由のほかに、透明度の高いサンゴ礁では視覚によるコミュニケーションのほうが発達していることもあるそうです。また、深い海の中では青い光が優位になり赤い色は見づらくなるため、真っ赤な魚は人間が考えるほど目立ちません。

テントウムシは非常にきれいですが、それはテントウムシが有毒昆虫だからです。他にも、ハチやある種のヘビやキノコなど、有毒生物は奇抜な色彩を身にまとうことで、自分には毒があるよ、食べるとあぶないよということを周囲にアピールしています。人間とあまり変わりませんな。

クジャクのオスは非常に美しい羽をもちます。メスを誘うためのディスプレイ用です。以前は、羽の目の数の多いオスがモテると信じられていましたが、最近の研究だとあまり関係はないようです。ともあれ、生物の世界では、オスが着飾ってメスを誘うのが普通です。

クジャクの羽はオシャレ以外に生存上のメリットがありません。これはオナガドリなどもそうです。オナガドリは尾の長いオスがモテるため、尾の短いオスが淘汰されてしまいました。もはやオナガドリの尾は長すぎる状態で、むしろ生存上不利なのですが、このようなハンディを背負っても生きのびる強いオスにメスは惹かれるようです。人間の酒やタバコなど、生存上のメリットが薄い行為がセックスアピールになるのも同じ理由ではないか、という説があります。

動物もカラフルですが、植物も負けてはいません。

古代の日本人にとって、色彩というのはまず植物の色であったようです。染料に使うことを考えれば当たり前ですね。ためしに「和色大辞典」から、植物名を含む色名を抽出するともの凄い数になりました。

なお、「植物名」の定義は、「植物園へようこそ!」に掲載されているものとしています。ただし、「〜茶」「〜紫」というのは反則くさいので外してあります。背景色に紛れて見づらい色もありますが、申し訳ありません。

桜色さくらいろ小豆色あずきいろ萌葱色もえぎいろ薄桜うすざくら櫨染はじぞめ花緑青はなろくしょう茄子紺なすこん桜鼠さくらねず黄朽葉色きくちばいろ二藍ふたあい山吹茶やまぶきちゃ水浅葱みずあさぎ蒲葡えびぞめ珊瑚色さんごいろ錆浅葱さびあさぎ桑染くわぞめ櫨色はじいろ梅紫うめむらさき紅梅色こうばいいろ黄橡きつるばみ菖蒲色あやめいろ海松茶みるちゃ紅藤色べにふじいろ藍海松茶あいみるちゃ桃色ももいろ枇杷茶びわちゃ藍媚茶あいこびちゃ芝翫茶しかんちゃ薄梅鼠うすうめねず撫子色なでしこいろ藍鼠あいねず灰梅はいうめ胡桃色くるみいろ牡丹鼠ぼたんねず灰桜はいざくら舛花色ますはないろ淡紅藤あわべにふじ朽葉色くちばいろ柳煤竹やなぎすすたけ熨斗目花色のしめはないろ藤鼠ふじねず石竹色せきちくいろ桑茶くわちゃ樺茶色かばちゃいろ薄紅梅うすこうばい桃花色ももはないろ水柿みずがき藍鉄あいてつ江戸茶えどちゃ樺色かばいろ白橡しろつるばみ桔梗鼠ききょうねず薄柿うすがき紅鬱金べにうこん亜麻色あまいろ紫鼠むらさきねず葡萄鼠ぶどうねずみ梅鼠うめねず白菫色しろすみれいろ鴇浅葱ときあさぎ白花色しらはないろ紫鳶むらさきとび梅染うめぞめ藍白あいじろ木蘭色もくらんじき白藍しらあい藤煤竹ふじすすたけ水色みずいろ躑躅色つつじいろ梅幸茶ばいこうちゃ牡丹色ぼたんいろ柿渋色かきしぶいろ勿忘草色わすれなぐさいろ蕎麦切色そばきりいろ黄海松茶きみるちゃ青藤色あおふじいろ菜種油色なたねゆいろ薔薇色ばらいろ茶色ちゃいろ青朽葉あおくちば檜皮色ひわだいろ薄花色うすはないろ茶鼠ちゃねずみ柿茶かきちゃ柳茶やなぎちゃ浅葱色あさぎいろ胡桃染くるみぞめ海松色みるいろ花浅葱はなあさぎ江戸鼠えどねず栗梅くりうめ露草色つゆくさいろ深緋こきひ紅檜皮べにひはだ抹茶色まっちゃいろ若草色わかくさいろ薄藍うすあい煎茶色せんちゃいろ栗色くりいろ若菜色わかないろ薄花桜うすはなざくら茜色あかねいろ茶褐色ちゃかっしょく草色くさいろ杜若色かきつばたいろ黒橡くろつるばみ栗皮茶くりかわちゃ苔色こけいろ瑠璃色るりいろ葡萄茶えびちゃ瑠璃紺るりこん檳榔子染びんろうじぞめ葡萄色えびいろ若葉色わかばいろ紺瑠璃こんるり黒鳶くろとび萱草色かんぞういろ松葉色まつばいろ藍色あいいろ柑子色こうじいろ青藍せいらん蒸栗色むしぐりいろ深縹こきはなだ女郎花おみなえし柳色やなぎいろ枯草色かれくさいろ青白橡あおしろつるばみ卯の花色うのはないろ柳鼠やなぎねず柿色かきいろ裏葉柳うらはやなぎ濃藍こいあい赤白橡あかしろつるばみ山葵色わさびいろ洗柿あらいがき人参色にんじんいろ鳥の子色とりのこいろ橙色だいだいいろ淡藤色あわふじいろ照柿てりがき藤色ふじいろ白梅鼠しらうめねず赤橙あかだいだい柳染やなぎぞめ薄卵色うすたまごいろ薄萌葱うすもえぎ雄黄ゆうおう深川鼠ふかがわねずみ紺桔梗こんききょう洒落柿しゃれがき小麦色こむぎいろ若緑わかみどり花色はないろ紺藍こんあい紅桔梗べにききょう肉桂色にっけいいろ桔梗色ききょういろ赤朽葉色あかくちばいろ藤納戸ふじなんど黄櫨染こうろぜん紅掛花色べにかけはないろ蒲公英色たんぽぽいろ紫苑色しおんいろ白藤色しらふじいろ藤紫ふじむらさき菜の花色なのはないろ菫色すみれいろ杏色あんずいろ菖蒲色しょうぶいろ花葉色はなばいろ千草鼠ちぐさねず竜胆色りんどういろ刈安色かりやすいろ千草色ちぐさいろ江戸紫えどむらさき藍墨茶あいすみちゃ珊瑚朱色さんごしゅいろ玉蜀黍色とうもろこしいろ深支子こきくちなし葡萄色ぶどういろ深紫ふかむらさき木賊色とくさいろ紫黒しこく向日葵色ひまわりいろ山吹色やまぶきいろ薄葡萄うすぶどう鬱金色うこんいろ紫紺しこん紅樺色べにかばいろ藤黄とうおう深緑ふかみどり桑の実色くわのみいろ

このリストをつらつら眺めていると、今までの自分の色彩人生など、ほとんどモノクロではなかったかと思わされます。単に「黄色」でしかなかった色が、「タンポポ色」「菜の花色」「とうもろこし色」「ひまわり色」「やまぶき色」となれば、なんとも楽しそうです。色彩検定でも受けてみたくなります。やはり、知るということは面白い。

動物名の入った色名は、ほとんどが鳥です。

翡翠色ひすいいろ山鳩色やまばといろ鴇色ときいろ鳶色とびいろ鶯色うぐいすいろ鶸色ひわいろ鳥の子色とりのこいろ金糸雀色かなりあいろ烏羽色からすばいろ濡羽色ぬればいろ

鳥以外の動物はぐっと数が減ります。

駱駝色らくだいろ猩々緋しょうじょうひ臙脂えんじ象牙色ぞうげいろ蜂蜜色はちみついろ鼠色ねずみいろ卵色たまごいろ

さて、植物の色といえば、やはり「緑」です。しかし、なぜ葉緑素が緑なのかは謎とされています。というより、むしろ緑色というのは不合理なんですよね。

そもそも、色はなぜ人間の目に見えるのでしょうか。太陽の光は白光ですが、それは可視光線の全波長がミックスされて白く見えるのです。つまり、太陽の光にはすべての色が含まれています。では、なぜ赤いリンゴは赤く見えるのでしょうか。それは、リンゴが赤以外の色をすべて吸収してしまうからですね。

ということは、植物は緑以外の色を吸収して、緑色だけ反射していることになります。これが実に不合理です。なぜか。

そもそも、人間は、光の波長のうちで可視光線の範囲だけが見えるように進化しています。これは、太陽から出る光のうち、可視光線の範囲のエネルギーが高い、つまり明るいからです。いいとこどりをしているわけです。

ということは、植物は、そのエネルギーの高い範囲の光を捨ててしまっていることになります。これはそうとう意味不明です。植物の枝の出方は、上の葉が下の葉の邪魔にならないように計算しつくされて配置されています。そこまでして日光にあたろうとしながら、緑色というエネルギーの大きい光を反射してしまっているのです。確かに緑色なら赤色光は吸収できるので、赤とか白よりだいぶマシですが、しかし、植物が最も有効に太陽光を吸収しようと思ったなら、すべての波長を吸収するのがベストです。すなわち、葉の色は黒が最も有利な色のはずです。

とはいえ、植物が黒い色だったら、世界はそうとう味けないことになりそうです。もちろん、花や果物が美しい色彩をしているのは、昆虫や動物に発見してもらい、花粉や種子をばらまいてもらうための工夫です。別に植物たちは、我々の目を楽しませようとしているわけではありません。

しかし、ここまでこの世界が色彩豊かなのは、単なる合理性を超えた何かがあるのではないかと想像したくなります。葉緑素が、ちょっとぐらい光合成の能率が落ちても緑色の吸収をあきらめて、他の生物に緑色を見せる方向で進化したのは、やっぱりそのほうが「楽しい」と、どこかでだれかが思ったせいかもしれません。