お嬢様言葉とは何か、究極の謙譲語、お嬢様は乱れていた?

マリみて」などですっかり普及した「お嬢様言葉」ですが、いったいその本質をどれだけの人が理解しているのでしょうか? また、ある有名作家が「お嬢様言葉」を「異様なる言葉づかい」と叩いていたことを知っている人は少ないでしょう。今日は、お嬢様言葉について考えます。

 ああ、私はお前の兄たちに見習って、お前に意地悪ばかりしてさえいれば、こんな失敗はしなかったろうに! ふと私に魔がさした。私は一度でもいいから、お前と二人きりで、遊んでみたくてしようがなくなった。
「あなた、テニス出来て?」或る日、お前が私に云った。
「ああ、すこし位なら……」
「じゃ、私と丁度いい位かしら?……ちょっと、やってみない」
「だってラケットはなし、一体何処でするのさ」
「小学校へ行けば、みんな貸してくれるわ」

堀辰雄燃ゆる頬・聖家族』「麦藁帽子」より

堀辰雄です。この浮世離れした文体がたまりません。なお、「麦藁帽子」の全文は、青空文庫で読めます。

さて、今日のお題は「お嬢様言葉」です。

お嬢様言葉は、物語の登場人物に使わせておけば速攻キャラが立ちますので大変便利ですね。ですから、そんな言葉など聞いたこともない、という人は少ないでしょう。しかし、みなさんはお嬢様言葉をきちんと理解して使っていらっしゃるでしょうか? ていうか使わねーだろ、という声が聞こえてきそうですが、世の中、何が役に立つか分かりませんよ。

お嬢様言葉を勉強するバイブルは、やはり加藤ゑみ子『お嬢さまことば速修講座』なのでしょうが、どうも品切れになってしまったようです。ネット上ですと、「賢者の石」が最強です。ここに『お嬢さまことば速修講座』の内容がまとめられています。

いくつか基本を押さえましょう。まずは分かりやすいところで、「ことのて」結び。

老人語の「〜じゃ」、中国人の「〜アル」など、他の役割語と同じく、お嬢様言葉も語尾が重要です。その代表が「〜こと」「〜の」「〜て」を語尾にとる「ことのて」結びです。今回引用した堀辰雄の小説でも登場人物の娘が「テニス出来て?」と聞いていますね。この「〜て」は「〜てよ」にもなりましてよ。

続いて、「すみません」の禁。

「すみません」を使う女性は本物のお嬢様ではありません。お嬢様は、「申し訳ございません」「ありがとう存じます」「恐れ入ります」などを用います。「どうも」など論外。これは、ニセお嬢様を見分ける最も有効な基準です。男性諸君はぜひ覚えておくべきでしょう。

さて、このような表面的な知識も大事なのですが、お嬢様言葉の精神を忘れてはいけません。それは、お嬢様言葉は究極の謙譲語である、ということです。

え、なんで? お嬢様って身分が高いんだから尊敬語じゃないの? などと思った方は、深い自己批判が必要です。今すぐ窓の外にむかって「恐れ入ります」を大声で100回練習してください。

お嬢様言葉というのは、相手を立てる言葉なのです。例えば、紀宮さまと黒田さんの結婚会見の話し方を見てください。「〜いたしております」「〜存じております」「〜臨んでまいりたい」など、徹底した謙譲語です。Googleで「わたくし していますわ」を検索すると、485件とかヒットするわけですが、お前ら全員なっちゃいねえッて感じです。

相手と自分が相互に高め合う関係になることができれば、自分の「お嬢さま」としての立場は相手が作ってくれる」のです。ここ、大変重要です。例えば、お嬢様は相手を批判しません。「失礼な方ですこと」などとは言わず、「はっきりしていらして」と言うのです。このへんの言いかえは、学校の先生が通知表のコメントを書くときと似ているかもしれません。

ところで、お嬢様言葉について知っておきたいことがあります。それは、お嬢様言葉は、かつて「乱れた言葉」だった、ということです。

金水敏ヴァーチャル日本語 役割語の謎』によると、明治のころ、「〜てよ」「〜だわ」に代表される女学生言葉、すなわち現在のお嬢様の起源となった言葉は、文学者・教育者などから激しい批難をあび、排斥されていました。

金色夜叉』(1897〜1902年連載)でお宮に「くつてよ」「可厭いやだわ」などの「てよだわ言葉」をしゃべらせた尾崎紅葉ですら、1888年の時点で「梅はまだ咲かなくツテヨ」などの言葉は「異様なる言葉づかひ」であり、「心ある貴女たちゆめかゝる言葉づかひして美しき玉に瑕つけ磨ける鏡をな曇らせたまひそ」と述べています(リンク先「紅葉山人」とは尾崎紅葉のことです)。

その後、「てよだわ言葉」は、女子学習院に代表される「お嬢様」という制度の中で完全に地位を確立し、さらに一般的な女性語として拡散していきました。冒頭に引用した堀辰雄の時代には、すっかり普通の女性語になっています。さらに現代になって「男性語」「女性語」という区別が薄れていく中で、「てよだわ言葉」は、その役割語としての濃さを増していき、「お嬢様言葉」としてフィクションの中に生きることになったのです。

日本語の乱れについて、とかく批判的に語られるわけですが、自戒をこめて注意しておきたいのは、我々の言語感覚とはかくも変わるものなのだ、ということです。「お嬢様言葉」が「乱れた言葉」とされていた、という事実は、もう少し知られていてもいいのではないでしょうか。