なぜ十二支にネコ年がないか、猫輸出禁止法、ネコのためなら剃れる!
十二支といえば、「
猫が、元来、自分の食物であるねずみの子を育てるというのは、ずいぶん不思議なことのようであるが、必ずしもないわけではない。げんに、中国には千二百年も前に、そういう記録が二つも残されている。
いずれも唐の時代で、一つは玄宗の天宝元年十月(七四二年)魏郡(河南省西北部)で猫とねずみがいっしょに乳を飲んだという話が『五行志』に載っている。
もう一つは、代宗の大暦十三年夏六月(七七九年)隴右 が、いっしょに乳を飲んでいる猫とねずみを献上したという話で、これは『資治通鑑細目』に載っている。(
さて、ネコがなんで十二支にいないのか、です。
検索してみると、次のような話がヒットします。いわく「神様が元日の挨拶に訪れた動物を順に十二支にすることにした。ところが、ネズミがネコをだまして、元日ではなく一月二日だと教えたため、ネコは挨拶に行けなかった。それを怒ったネコは、今でもネズミを追いかけている」とのこと。ほー、なるほど。納得。……ッて、こんなん思っきり作り話じゃねーかよっ。
これは「物語」であって「説明」じゃありません。十二支というものは、どこかでだれか(一人とは限りませんが)が決めたのだと思いますけど、その人が「おおそうだ、十二支にネコは入れないことにしよう。それはネズミにだまされたから、ということにすればよい。うむ、これは面白い。むひひひ」と考えながら、十二支を決めたということでしょうか。どんな設定マニアですか。
というわけで、もう少し掘り下げます。まず、十二支の起源です。このへんの詳細については、Wikipediaの「十二支」の項か、「十二支の話」などがよくまとまっていると思います。
干支が単なる「数え方」であった証拠として、時刻なども干支で数えていたことが挙げられます。「午前・正午・午後」というのは、「午」の字が干支の前後の境目にあることからきています。
では、なんで、これが動物になってしまったのか。
動物の十二支が最初に文献に現れるのは、後漢時代に書かれた『
ということは、この12匹の動物たちは、当時の人々になじみが深かったかどうかを基準にして選ばれた、ということになります。ですから竜が入っているのでしょう。当時は、王充の選んだ12匹が決定版、というわけでもなかったらしく、さまざまな十二支があったようです。その名残りは中国の周辺諸国に伝播しており、例えばベトナムやチベットの一部の文化圏の十二支にはネコ年があります。これについては、「卯」と「猫」の発音が近かったからすりかわったと考える人もいるようです。
余談ですが、「猫」の発音(ビョウ、漢音ミョウ)はネコの鳴き声からとられています。これと同じパターンの漢字は、「
なじみやすい動物を選んで十二支にあてはめた、というのが本当だとしたら、問題は、その当時、ネコはなじみ深い動物でなかったのか、というのが次の問題になります。
実は、ネコと人間がかかわるようになったのはかなり最近になってからのことです。
ケルレル『家畜系統史』には「古代ギリシア・ローマ世界に猫はいない。ネズミを捕っていたのはイタチである。欧州へ家猫が到達したのは西暦紀元頃,ローマへは四世紀後に移入された。」とあります。また、聖書の中に犬は18回出てくるが、猫は1回も出てこないそうです。ただし、最近になって、従来考えられていたよりも古い猫の化石が遺跡から発掘されているようです。
ネコと人の歴史については、NEKO辞典が充実しています。このページによると、ネコがペットして飼われたのは古代エジプトであったそうです。そこでネコは神聖な動物とされ、国外への持ち出しを禁じられました。これによりネコの世界展開は大きく遅れました。なお、エジプト人は、飼い猫が死ぬと眉毛を剃り落として悲しんだそうです。もはや我々現代の日本人には、なんでそこで眉毛!?という感じで、理解しがたい話ですが、ともかく、すごくネコが好きだったんだろうなあという迫力は伝わってきます。
エジプト人の「だれにもわたさないぞ作戦」にもかかわらず、ペットとしてのネコは次第に世界へ広がっていきます。中国に伝わったのは「紀元前200年」とあります。『論衡』が書かれるまでに、あと200〜300年の時間しかありません。「なじみ深い動物」にまで出世するには、うーん、中国の大きさと、当時の時代のテンポを考えると、個人的にはちょっと難しいかったかな、ぐらいの感じだと思いますが、どうでしょうか。
きちんとしたソースがないのですが、中国最初の猫は三蔵法師が伝えた、という伝説もあるようです。お経をネズミに食われるのを防ぐためですね。これは、日本にネコが輸入された目的とまったく同じです。玄奘三蔵は7世紀頃の人間ですから、この伝説が真実であるならば、ネコを十二支として採用することなどありえません。いってみれば、「なぜ十二支にネコがいないのですか?」という質問は、当時の中国の人々にとって「なぜ十二支にピグミーマーモットがいないんですか?」という質問と同じで「ええ、いませんが、何か?」というぐらいの感覚だったのかもしれません。
さらにぶっちゃけた話をしてしまえば、単なる王充さんの好みであった可能性もあります。ノーベル賞に数学賞がないのは、ノーベルが、数学者のソフィア・コワレフスカヤに振られたからだ、という俗聞がありますが、同じように王充が単なるネコ嫌い(子供の頃ネコにひっかかれたとか)であっただけかもしれません。
ともかくも、ネコ年がないのは、ちと残念でした。クレオパトラの鼻ではありませんが、エジプト人がもう少しネコ嫌いだったら、日本にネコ年が存在したのかもしれませんね。