天皇という仕事、人権のない日本人、その場にいて何かを我慢すること

天皇という仕事が窮屈そうなのはなんとなく想像できますが、それではいったい、法律上、天皇の人権はどこまで制限されているのでしょうか。今日は、天皇という極限の生き方について考えます。

 中ごろ、市正いちのかみ時光とふしやう吹きありけり。茂光といふ篳篥ひちりき師と囲碁を打ちて、同じ声に裹頭楽くわとうらく唱歌しやうがしけるが、面白く覚えけるほどに、内よりとみの事にて時光を召しけり。
 御使ひいたりて、この由を言ふに、いかにも、耳にも聞き入れず、ただもろともにゆるぎあひて、ともかくも申さざりければ、御使ひ、帰り参りて、この由をありのままにぞ由す。いかなる御いましめかあらんと思ふほどに、「いとあはれなる者どもかな。さほどに楽にめでて、何事も忘るばかり思ふらんこそ、いとやむごとなけれ。王位はくちをしきものなり。行きてもえ聞かぬこと」とて涙ぐみたまへりければ、思ひの外になむありける。

鴨長明『発心集』より

なかなか切ない話です。大意を書きます。

少し前の話だが、時光・茂光という二人の笛吹きが囲碁を打ちながら合唱していたときに、急な用事で天皇の使いがやって来たことがあった。ところが、二人はノリノリで歌っていたため、使者に気づかなかった。使者は宮殿に帰って、天皇にことの次第を報告した。どんなお叱りがあるかと思いきや、天皇は「大した連中だ。それほどに音楽を愛して夢中になれるのは素晴らしい。王の位が悔しい。こんなときに行くこともできない」と涙ぐまれたので、使者は意外に思った。

この話は一般に、芸道に打ちこむ貴さを賛美する話ですが、一方で、ここには天皇の「不自由さ」というものも書かれています。確かに、この世に数ある職業の中でも、「天皇」という仕事は「フリーター」の対極にあるわけですから、特に制約がキツそうです。

では具体的に、天皇にはどんな制約があるのでしょうか?

なお、あらかじめ断っておきますが、この記事は天皇の不自由さの法律上の根拠を具体的に調べただけのもので、「A級戦犯」とか「Y染色体」とかの話はいっさい出て来ないので御注意ください。帰るなら今のうちです。

さて、まずは何といっても、職業選択の自由がないことでしょう。日本国憲法第2条に「皇位は、世襲のもの」とあり、さらに、皇室典範により天皇の継承順位はがっちり決められています。したがって、天皇という仕事は「選ぶ」ことができません。そういう意味では、「天皇」という属性は、人種とか性別と同じですな。

では、いったい「天皇という仕事」は、具体的に何をする仕事なのでしょうか。宮内庁の「天皇皇后両陛下のご日程」を参考に現天皇陛下の平成17年の御公務を調べてみました。

平成17年に「天皇陛下」あるいは「天皇皇后両陛下」がなされた御執務は全部で668。そのうち、5回以上行われたものを以下にあげておきます。

ご執務100回、拝謁53回、ご会釈48回、ご引見39回、ご説明32回、ご視察31回、お茶29回、〜の儀28回、ご挨拶24回、ご臨席22回、御着22回、認証官任命式18回、信任状捧呈式17回、会見17回、午餐16回、ご進講15回、茶会12回、ご訪問11回、ご覧11回、旬祭10回、御発10回、ご昼食9回、ご聴取9回、ご懇談7回、ご参拝6回、昼餐5回、ご鑑賞5回、夕餐5回

「〜の儀」というのは、「〜の儀」と名づけられた儀式のことです。「御着」「御発」というのは移動ですね。あと、平成17年にはサイパン島御訪問とノルウェー御訪問もありましたよ。

「ご会釈」「ご引見」「ご挨拶」「ご臨席」「ご会見」「ご懇談」「ご臨場」「ご観覧」ってのがいったいどう違うのを考えるのは手頃な頭の体操になりそうですが、それはさておき、ものすごい「ご」の洪水にゲシュタルト崩壊をおこしそうです。当然ながらすべての動詞が尊敬語と化しています。謙譲語が含まれているのは、天皇の動作ではない「拝謁」と、「ご参拝」(行き先は、陵墓と熱田神宮)だけです。

これらの仕事を見ていると、そのほとんどが「人に会う仕事」であることに気づきます。もちろん、相手はほとんどが国家元首クラスとか、何百人という人間の集団であるわけで、それを1年に668回やらなければいけなかったわけです。少なくとも、私には「ご会釈」という仕事はできそうにありません。

さて、天皇には転居の自由もありません。現在の住まいは旧江戸城である「皇居」と定められています。天皇が皇居に住まわなければならない法的根拠はよく分かりませんでしたが、まあ当たり前、という気もします。

1996年6月13日の衆議院「国会等の移転に関する特別委員会」で、橋本首相が「私は、首都移転というつもりはありません。皇室に御動座をいただく意思はありません。」と言ったように、「首都機能移転」と「遷都(首都移転)」は異なります。すなわち、天皇が動くと遷都になってしまうわけですね。こりゃ、うかつに引っ越せません。

現行法下では、法律・政令・条約すべてに天皇の署名、具体的には御璽ぎょじが必要です。紙とハンコの話です。ですから、天皇の在所と政府機関は、物理的に近くないと困ります。

余談ですが、高御座たかみくら)(玉座)がまだ京都御所内の紫宸殿ししんでんにあることから、「東京は正式な首都ではない」との意見があるというのは面白いと思いました。

婚姻も不自由です。皇室典範十条によると「立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する」とあり、男子皇族は自由に結婚できません。離婚は勝手にできますが。

ちなみに皇室会議のメンバーは、皇族2方,衆・参両院の議長・副議長,内閣総理大臣,宮内庁長官,最高裁判所長官・同判事1人です。三権の長が全員いますね。日本最強の権力集団かもしれません。

財産権も制限されています。日本国憲法第8条によれば、皇室は財産の譲渡に関して国会による制限を受けます。また、同じく88条によれば、すべて皇室財産は国に属し、その費用は国会の議決を経なければならないとあります。なお、天皇家の財産に所得税はかかりません。皇居にも固定資産税はかかりません。でも、都民税と区民税は払ってるそうです。なんかいきなり親しみを感じたのは私だけでしょうか。

それから、公職選挙法の附則に「戸籍法の適用を受けない者の選挙権及び被選挙権は、当分の間、停止する。」とあり、戸籍のない皇族には今のところ選挙権、被選挙権がありません。

天皇は養子をとることができません(皇室典範9条)。したがって、現行法下では一般の日本人男性には「皇族になる権利」はないことになります。

なお、刑法第232条によれば、天皇・皇后・太皇太后・皇太后皇嗣に対する名誉毀損や侮辱の罪は、内閣総理大臣が代わって告訴することになっています。代わりにやってくれる、と言えば聞こえはいいですが、天皇には自分に対する侮辱を自分で告発する権利がないとも言えます。

今回の調査で唯一、一般国民より天皇のほうが「自由」である可能性があったのは、成人年齢です。皇室典範22条によれば、天皇、皇太子、皇太孫は18歳で成人です。ということは、ひょっとして人より2年早く酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ! いや、本当にそうなのかどうかは確認してません。つうか、現実的に無理でしょうね。国民が許さないから。

天皇以外の皇族は15歳以上なら自分の意思で皇族を辞めることができます(皇室典範11条)。ですが、現行法では、天皇にその権利は与えられていないとのことです。我々日本人は全員、共犯なのでしょうか。

id:lovelovedogさんのブログに、「明治天皇の仕事の大半は『その場にいて、何かを我慢すること』だった」という印象に残る表現がありました。「その場にいて、何かを我慢すること」。それは、我々の生の本質であるようにも思えます。だとすれば、「天皇」とは、人間の生の極限、一つの純粋な形なのかもしれません。

ふりつもる深雪みゆきに耐えて色かえぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ(昭和天皇御歌)