日記書き・石川啄木、テキストが作る人生、ブロゴスフィアよ永遠に

石川啄木といえば、人気の高い抒情じょじょう歌人ですね。では、その啄木が書いた「ローマ字日記」の詳しい内容をご存じでしょうか? これがまたとんでもないテキストなのですよ。今日は我々にとって日記とは何かについて考えます。

四月六日 ゆうべ、私は起き上がろうとした。体が重い。一方の足が寝台の外に垂れる。やがて、その足を伝って、ひと筋の液体が流れる。そいつがかかとのところまで行きついて、やっと私は決心がつく。また布団のなかで乾いてしまうだろう――かつて「にんじん」だったあの頃のように。

これはルナールの日記の自身の終末を述べた一節だが、私は無論、ルナールが自己耽溺の作家であったなどと言おうとは思わない。ただ、自己に執着せざるを得なかった作家がその意志をつらぬいた悲痛な執念に、愕然とさせられるのである。(中略)とにかくこれは、日記が一人の人間の骨身に食いこんだ一例であるように思われる。

安岡章太郎『日記――或る執着』より

ルナールはフランスの作家です。安岡章太郎が引用した、この「四月六日」の日記を書いたとき、ルナールは46歳。死亡する2ヶ月前でした。足をつたう「ひと筋の液体」とは、言うまでもなく夜尿おねしょのことです。

ちなみに、『にんじん』はルナールの自伝的小説です。赤毛ゆえに母親から「にんじん」と呼ばれ、虐げられていた子供の物語。ある日、夜尿をした彼は、母親から、それをスープに入れて飲むよう命ぜられます。なかなか陰惨な話です。

それにしても、46歳の男性が、自分の夜尿を日記に残すとは。露悪趣味と断ずるのは簡単ですが、何かそれ以上のものもあるようです。安岡章太郎は、このような心の動きを「自己に執着する」と表現しました。

ブログの普及により、人類史上、最も簡単に他人の日記を読めるようになった現代。やっぱり「日本人にはBlogより日記」(近藤淳也)です。今日は、「日記」という表現のもつ意味について考えます。

えー、古今東西の日記の中で、最もインパクトのある日記は何か? と問われれば、まあ異論はあるでしょうが、石川啄木の「ローマ字日記」は三指に入ること確実ではありますまいか。トリビアの泉でも、「石川啄木はHな日記を妻に読まれては困るためローマ字で書いていた」で「82へぇ」を獲得したので、ご存じの方も多いでしょう。

ちなみに、トリビアの泉石川啄木が大好きらしく、「石川啄木は女だと思って男にラブレターを書いたことがある」「石川啄木は手紙で『一言も言い訳できません』と書いておきながら借金が返せない言い訳を1m33cm書いた」「石川啄木カンニングがばれて高校を中退した」などのトリビアが過去に放送されています。

このような啄木トリビアの盛況ぶりは、石川啄木に「純朴」「朴訥」「苦労人」というイメージがあるからでしょう。実際、教科書に登場する啄木、つまり日本人の大多数の頭の中の啄木は、望郷の歌を代表とする抒情歌人に過ぎません。

ここらで有名歌を引用したいところですが、キリがありませんのでリンクだけ。こちらの石川啄木の短歌を紹介したページが、すっきりまとまっていて、有名な歌はほぼ揃っているようです。「啄木の歌ってどんなんだっけー?」という人は、このあとの話の都合もありますので、ぜひ目を通しておいてください。さらに興味のある人のために、青空文庫の『一握の砂』をリンクしておきます。

せっかくですから、私の好きな歌も一つ紹介しておきます。「きしきしと寒さに踏めば板きしむ/かへりの廊下の/不意のくちづけ」。釧路くしろ時代の歌です。実に素敵な歌じゃありませんか。恋の、鮮やかな一瞬の切り口です。

しかしですね、みなさん。啄木はこの歌を詠んだ当時、既に妻がいたのです。名前は節子さんです。では、この「不意のくちづけ」の相手は、節子さんなんでしょうか? 違うんです。この歌の相手は、当時の釧路ナンバーワン芸者であった子奴こやっこなのです。

そうなんです。啄木ってのは、実は、それはそれはとんでもねー浮気ヤローなんですよ。

つうわけで、啄木の「ローマ字日記」の登場です。トリビアの泉では、「妻に読まれては困る」からローマ字にした、となっていますが、啄木自身は次のように書いています。ここは有名な箇所ですので、引用しておきましょう。

「そんなら何故なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか? 何故だ? 予は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ、――しかしこれはうそだ! 愛してるのも事実、読ませたくないのも事実だが、この二つは必ずしも関係していない。/そんなら予は弱者か? 否、つまりこれば夫婦関係という間違った制度があるために起こるのだ。夫婦! なんというバカな制度だろう! そんならどうすればよいか?/悲しいことだ!」(『岩波版・啄木全集』より)

お前はいったい何を言っているんだ? という感じですな。はっきり言って、支離滅裂です。

まあ、ともかく、読まれては困る日記であったことは間違いないのが、この「ローマ字日記」です。というわけで、「ローマ字日記」で最も有名な明治42年4月10日の日記をご覧いただきましょう*1。ちと長い文章ですんで、「強き刺激を求むるイライラした心は……」で始まる段落を探して、そこからどうぞ。あ、バリバリの18禁テキストですので、相応の覚悟の上でお願いします。一応、一文だけ引用しておきます。

「ついに手は手くびまで入った。」

さて、もう一つなかなか味わい深い部分を紹介しておきます。「ローマ字日記」の4月15日で展開されるのは、浮気を正当化する素晴らしい名言です。全男性必見です。啄木曰く、

「予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。そして予は寝た――他の女と寝た。しかしそれは節子と何の関係がある? 予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。」

惚れるね。私もいつか浮気をしたとき、「人の欲望が単一でないだけだ!」と言い放てるぐらいまでステージを上げておきたいものです。ここで「人の」と言い切ってしまうところが、あまりにもオットコマエです。そら、奥さんも、家出するっつーの。

5月8日の日記にも興味深い記述があります。急に会社に行く気がしなくなった啄木。休む口実をつくるため、なんとカミソリで左の乳の下を切ろうとするのです。で、「痛くて切れぬ」と日記には書いてあるのですが、いやー、大変に共感を呼ぶ描写です。ヘタレっぷりが最高ですな。

結局、石川啄木は、27歳で肺結核によりこの世を去ります。安岡章太郎によれば、啄木は「俺が死ぬと、俺の日記を出版したいなどと言う馬鹿なやつが出て来るかも知れない、それは断ってくれ、俺が死んだら日記全部焼いてくれ」と言いのこしたそうです。

しかし、安岡は「そういう遺言をすること自体、自分の日記を読まれることを意識していたからのものであろう」と鋭く指摘します。まったく、その通りですな。そもそも、文章として思考を外在化させている時点で、他者の目に触れる可能性を覚悟しているとしか思えないわけです。

してみると、啄木にとって、「ローマ字日記」とは何であったのでしょうか。

例えば「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」という歌から想像される啄木像と、「そして予は寝た――他の女と寝た」などと日記に書く啄木像には、あまりにもギャップがあります。これはどういうことか。

私は、さきほど「啄木は、実は、浮気ヤローでした」というふうに書きました。ここで「実は」という言葉を使いました。ということは、啄木は「本当」はいい加減な浮気ヤローで、「ローマ字日記」では、その本性が出た、ということなのでしょうか?

ちょっと脱線ぽいですが、「実は」という言葉は、あまり信用ならぬ言葉です。例えば、ふだんはとても温厚な人がいたとします。ところが、その人がこっそり犬をいじめるているのを、ある日、目撃してしまったとしましょう。すると、我々は思うはずです。「あの人は、実は、ひどい人なんだ」。この推論は妥当ですかね? だって、99回の善行と1回の悪行で、1回の観察のほうを優先するというのですよ? 無茶苦茶です。

たぶん、我々は「実は」という言葉にすごく弱いのでしょう。石川啄木は純朴な人間であるというのが常識だ。しかし、実は……と言われると、ころっとやられるのです。

ですから、ここは落ち着かなくてはいけません。「ローマ字日記」の啄木が「本当」の啄木であると考える根拠はありません。「花を買ひ来て/妻としたしむ」啄木も、「他の女と寝た」啄木も、どちらも石川啄木の書いた「言葉」に過ぎません。どっちかが「本当」の啄木であるわけではなく、どちらも、石川啄木という希代の天才がつくり出した、「もう一人の啄木」です。石川啄木という男が日記になっているわけではありません。この日記から我々が石川啄木をつくり出すのです。

となると、新しい疑問が発生します。すなわち、なぜ、啄木はわざわざあんな日記を書いたのか? 他人に読ませても何の得にもならない、それどころか、自分に不利益がありそうな内容の日記です。そりゃ、読みにくいローマ字では書いてありましたが、でも他人にも読めることには違いありません。実際、啄木の奥さん、節子さんは、啄木の死後、日記を読んじゃったらしいですし。うわー。

ともかく、啄木は、将来だれかが読むであろうという確信のもとに、「もう一人の自分」を日記の中につくり出していた、私にはそう見えます。

思うのですが、これって、我々がウェブで日記書いてるのと、同じじゃないでしょうか。

「ローマ字日記」を読んでいただいた方は、その文章の新しさに驚くでしょう。この日記が書かれたのは、ほぼ100年前(1909年)なんですよ。ローマ字という表音文字を使ったことが、口語全盛の現代語に似た雰囲気を漂わせるからでしょうか。「ローマ字日記」は、まるでどこかの自虐系ウェブ日記を読んでいるような、猛烈な既読感を感じさせます。

もちろん、違うところもあります。まず、我々は、ローマ字で日記を書いているわけではありません。読まれたら困る、とは思っていないからです。

しかし、では、なぜ我々の多くはウェブ上の文章を、架空の名前で発表するのでしょうか。ID、ハンドル、ペンネーム、なんでもいいのですが、ともかく我々は、ウェブに文章を書くとき、現実の自分とどこか切り離して文章を書いているのではないか。つまり、それが現実の自分の文章だと知られたら、困る。なのに、他人が読めるようにわざわざウェブに文章をあげるのです! 啄木と同じではありませんか。

もちろん、実名で文章を発表している人もいます。それは「強さ」だ、と私は思います。我々が啄木に共感するとしたら、それは「弱さ」に対してでしょう。そして、ほとんどの人は「弱い」のです。

そうなると、この一億総ブロガーとまで言われるこの時代であるからこそ、啄木の「ローマ字日記」はいっそう新しいのです。トリビアの泉では、単なるエロオヤジの秘密日記みたいな紹介のされ方でしたが、「ローマ字日記」には近代人の普遍的な営みがあるのです。なに、メディアがちょっとぐらい変わったからと言って、人間、そうは変わらんですよ。

というわけで、弱き人間である私も、再びブロゴスフィアに戻ってまいりました。一週間ほどごぶさたしましたが、今日から吹風日記、再開です。

*1:このサイトは、「ローマ字日記」の全文が読める、ありがたーいサイトなのですが、OCRで読みこんだテキストらしく、誤字が多いです。不審な点はローマ字のテキストで確認するとよいでしょう