雲のごとく咲け、日本初のさくらタンハァハァ、桜咲き栄え幸ふ盛り酒
万葉集の頃は、桜より梅が人気でありました。では、桜はどのようにながめられていたのでしょうか。今日は、万葉集に掲載された桜の歌と、桜の語源から、日本人の「桜」観について考えます。
桜というと、決まって思い出すことがある。柳田国男翁のお供をして、武蔵・相模の国境の川のあたりを、あちこち歩いた時のことだ。
向かいの上に、いっぱいに咲いた花が、霞の中にけぶるようなかたちに遠望されると、翁はしばらく杖をとどめて、感に堪えたようにながめられるのであった。昔の人はみんな、山の桜をながめていたのだ、街路や堤や家の内に植えるようになったのは後のことだ、という意味のことを、その時翁は言われた。そして、山に咲く花を遠望するのが、桜はいちばん美しいのだ、と繰り返された。桜のもとに大勢集まって酔態を繰りひろげるなんぞは、下の下たるものとしていられた。
『万葉集』にある
うちなびく春来たるらし 山の際 の遠き木末 の咲き行く見れば(
なども、家からながめられる遠山桜である。家桜や都大路の桜並木を詠んだのは、概して『古今集』以来のことであろう。窪田空穂 の歌に、(
離れては見るべき物と見つつ思ふ 桜の花よ雲のごとく咲け
というのがあるが、やはり柳田翁と同じような見方をされていたのだと納得される。「雲のごとく咲け」に、雲のようにもり上がって見える遠山桜の感動を、見事に言い取っている。山本健吉『遊糸綾乱』より
「桜のもとに大勢集まって酔態を繰りひろげる」とは、「お花見」ですな。柳田国男は花見を好ましく思っていなかったと山本健吉は書いています。万葉の頃、日本人にとって、桜とは遠くからながめるものであったとか。ほー。
こういうときは、原典にあたるのが基本です。万葉集から「桜」を詠んだ歌を調べるわけですが、「楽しい万葉集」というサイトに「桜を詠んだ歌」として既にまとめてありました。以後の引用はすべてこちらからありがたく行わせていただきます。
なるほど、山桜が多いですね。ずばり「山桜」とあったり、「峰の桜」とあったり、また旅の途上で詠んだ歌は、まず山桜でしょう。
しかし、明らかに山桜でない歌もありました。
してみると、山本健吉の「家桜や都大路の桜並木を詠んだのは、概して『古今集』以来のことであろう」という記述は、ちょっと勇み足かなというところです。
とはいえ、「桜のもとに大勢集まって酔態を繰りひろげる」などは確かにありえない。万葉の桜というのは、切ない恋とともにあることが大変多く、花見のどんちゃん騒ぎとは無縁なんですね。
例えば、作者不詳の「
ちなみに私の厨房神経を直撃したのが、作者不詳の「
大野晋「言葉を作る」によれば、「サケ(酒)」の古形は「サカ」でありまして、これは「サカリ(盛)」「サカエ(栄)」「サク(咲)」などと同根で、植物が生命力の頂点に達して力いっぱいに花を開くことです。
「サクラ(桜)」の語源は諸説ありますが、多くの説は、
もし、「サクラ(桜)」が「サク(咲)」と同源ならば、「サケ(酒)」「サカリ(盛)」などとも関連があるのですから、花見のどんちゃん騒ぎも大目に見てほしいところです。
再び大野晋によれば、「サキハフ(幸ふ)」とは、「咲く」に、「力が辺りに広がる」という意味の「這う」がくっついて出来た言葉です。それが音韻変化で「サイワイ(幸い)」に転じたといいます。
恋にせよ、花見にせよ、桜が日本人の幸せとともにあったことは、間違いないようです。