電話帳を楽しく読む方法、電話帳の味の素、汲めども尽きぬ快楽の泉

「電話帳を読む」という表現は、「無味乾燥」を表す慣用句となっています。しかし、私はそれに異議をとなえたい! 今日は、電話帳を面白く読む方法について考えます。

 いよいよすることがなければ、電話帳を読む。そういう文章を読んだことがある。そんなものがおもしろいだろうか、というのは知らないもののせりふ。たまらなく楽しい、とあった、一杯やりながら、列車時刻表を熟読するという風流人の随筆を読んだこともある、つい読みふけって時のたつのを忘れる、という。人間、さまざまな趣味があるものだ。

外山滋比古『読み書き話す』より

はてさて、時刻表を楽しく読む、というのはまだ分かるような気がしますが、電話帳を楽しく読む、というのははたして可能なのでしょうか?

一般に「電話帳を読む」という行為は、無味乾燥なことの喩えとして使われます。重度の活字中毒であることを表現するのに、「読むものがなければ、電話帳でも読む」と言ったりします。また、歌手や俳優の声の表現力を讃えるために、「電話帳を読むだけで、客を泣かせることができる」という言い方がされます。ネット上では、エディット・ピアフマイケル・スタイプジョアン・ジルベルト、ビリー・ホリディなどが、そういう声の持ち主だと言われていました。

希代の推理小説占星術殺人事件』では、冒頭に延々40ページにも及ぶ西洋占星術に関するマニアックな記述が展開され、それを読んだ主人公の御手洗みたらい潔はうんざりして「電話帳を読まされたみたいだ」と述懐します。

ドラえもんには「本の味の素」という秘密道具が登場します。これをふりかけると、どんな本でも面白くなる、というふれこみの道具です。「本の味の素」をかけた電話帳を読んだしずかちゃんは、「次の番号はどうなるのか」とドキドキしながら読むようになります。私は幼少のみぎり、この場面に声をあげて笑ったものです。言うまでもありませんが、「電話帳はつまらない」というコンセンサスがあって、初めてこのようなストーリーが成立するわけです。

芥川龍之介の「河童」の最後に、ただの「古い電話帳」を、「近ごろ出版になったトックの全集の一冊」だと信じて、そこに書かれた詩を朗読する、という場面が出てきます。すさまじい狂気を感じさせる場面です。「電話帳」という本のもつイメージが強く働いています。

というわけで、一般的には、電話番号を知るためでもないのに純粋に電話帳を読む、というのは異常なことだ、と思われています。

しかし、電話帳というのは、そんなにつまらないものなのでしょうか。

1878年に発行された世界最初の電話帳はわずか1ページしかなかったそうですが、いまや電話帳と言えば、分厚い本の代名詞です。

アメリカの上院議会には議事妨害(フィリバスター)という言葉があります。長時間演説などで議会進行を妨げることで、1957年に上院議員ストロム・サーモンドが電話帳の朗読により24時間18分にわたって議事妨害をしたのが最長記録だそうです。演説中はトイレにもいってはいけないので、これはそうとうな偉業です。

このような大量の情報を含んだ本である電話帳を楽しく読む方法を開発すれば、人類に対する大きな貢献となりましょう。ノーベル賞(イグノーベル賞?)ものかもしれません。なんとか電話帳の楽しい読み方をひねり出してみることにしましょう。なお、あくまで目的は「電話帳を読む」ことですので、別に電話帳である必要のない行為、例えば、パラパラ漫画、まくら、筋トレなどの利用方法は、ここでは除外いたします。

さて、簡単なのは、広告を読むことです。しかし、これでは新聞の折り込みチラシをながめているのと変わりはありません。電話帳の読み方としては、邪道であります。

電話帳は、電話帳として楽しむべきです。

まずに、電話帳初心者向けにオススメなのは、掲載されている「職業」を見ること。「ちんどん屋」「氷商」「刺青いれずみ師」など、今でもあんのかよ、と思うような職業が載っていたりして楽しいものです。「曳屋ひきや」はどんな仕事だか分かりますか? 建物を破壊せずに移動する仕事です。

名前から由来を想像する、というのもなかなか乙なものです。「アーアーアーアンシンパソコントラブル」などという文字列で始まる社名(実在します)を見ると、よほど名簿の前のほうに載りたかったのだろうなあ、と目頭が熱くなってきます。とはいえ、この会社、いやしくも「インターネット関連サービス」業なのですから、五十音順名簿の順番などを気にするヒマがあったら、検索されやすい名前をつけるべきだったろう、と思わざるをえませんが。

社名というのはバラエティに富んでいますから、楽しむのも簡単です。中級レベルを目指すのであれば、人名で楽しめるようになりたいものです。

まず王道は珍名を楽しむことでしょうか。名字探検隊などでの予習をオススメします。四文字名字や「ら行」で始まる名字、かな混じり名字など、典型的に珍しい(?)名字についての知識を仕入れておくと楽しめるでしょう。

また、名字は出身地ごとに偏りがあります。「この苗字(名字)は、どの都道府県に多いか?」などを参考にしたいただければ、ほほお、この人は静岡出身かな、などということが想像できます。

名前から人となりを勝手に想像してしまうというのも、なかなか楽しいものです。「“子”のつく名前の女の子は頭がいい」みたいな感じです。夢野久作に「創作人物の名前について」という面白いエッセイがありまして、「普通の場合、岩山銅蔵という美少年だの、青柳美代吉なんという醜怪な兇漢なぞは落第である。トラ子と花子と二人並べたら花子の方が美人にきまっているし、松子と清子なら清子の方が病身にきまっている。」などと言いたい放題です。このように、名前から勝手なイメージを押しつけるのは楽しいものです。

ところで、この随筆に、「大正七年頃であったか、何とかいう飛行将校が夫婦相談の上で、今度生れる子を男の児ときめてナポレオンという名前にきめているところへ女の子が生まれたというのでナポ子と附けた」という話が出てくるのですが、マジっすか。

さて、まだまだいきます。上級者ともなれば、やはり電話番号そのものを楽しめるようにならなくてはいけません。なんといっても、我々が読んでいるのは「電話帳」なのです。

といっても、普通の電話帳は地域別でしょうから、電話番号のうち市外局番などは記載されていないことと思います。まともに変化するのは最後の4ケタでしょう。しかし、それで十分です。

例えば、その4つの数字を使って、10を作る遊びなどはどうでしょうか。6789だったら、(7+8)×6÷9=10という具合です。実は、異なる4つの自然数からなら、+−×÷とカッコのみを使って、必ず10が作れることが分かっています。ですから、実は答えがありませんでした!という悲しい事態にはなりません。

その数を使った語呂合わせを考える、というのもかなり趣深い遊びです。「語呂合わせの部屋」には、2400で「ジョン・レノン」、0045で「オノ・ヨーコ」という驚異的な例が載っています。たかが語呂合わせ、と思いがちですが、実に端倪たんげいすべからざるものがあります。

真の通人であれば、その4ケタの数自体にストーリーを見出してしまうものでしょう。ラマヌジャンという数学者の有名な逸話があります。ある日、ラマヌジャンのもとにハーディという数学者がやってきました。ハーディが、乗ってきたタクシーのナンバーが1729というつまらぬ数だった、と言ったところ、ラマヌジャンは即座に、「いやそんなことはありません。それは、2つの3乗数の和で2通りに表せる最小の数です」と答えたそうです。すなわち、1729=12^3+1^3=10^3+9^3。

このような人間にとっては、電話帳が、というより、世界そのものが、汲めども尽きぬ知識と快楽の泉に見えるのかもしれません。かくありたいものです。