天稚彦、玉手箱、神様の恋

物は無くて、煙空へ昇りぬ。かくて姉ども帰りぬ。三七日待てども、見えざりけれぱ、言ひしままに西の京に行きて、女に会ひて、物ども取らせて、一夜ひさごに乗りて、空に昇らんと思ふに、行方なく聞きなし給ひて、親たちの嘆き給はんことを思ふに、いと悲しく、「今は故郷見るまじきぞかし。」と、返り見のみせられて、
  逢ふこともいさしら雲の中空にただよひぬべき身をいかにせん

御伽草子』「天稚彦物語」より

御伽草子(おとぎぞうし)は、室町時代から江戸時代にかけて成立した物語集。「浦島太郎」や「一寸法師」などが有名。今回引用したのは、その中の「天稚彦(あめわかひこ)物語」です。

こんな断片だけ引用してもわけが分かりませんので、今回の話に必要な範囲であらすじを紹介しておきます。必要な方は、「天稚彦物語」の全文や、「天稚彦物語」の現代語訳などを適宜参照してください。

長者の娘に大蛇が求婚に来ます。上の娘二人は断わり、下の娘が生け贄となります。ところが、大蛇の中から出てきたのは美しい男でした。二人は幸せに暮らします。ある日、その男(天稚彦)は、自分は海竜王であると名乗り、用事で天へ昇ると娘に告げます。天稚彦は、「もし自分が帰らなければ『一夜ひさご』に乗って天に昇り自分を訪ねよ」と言い、さらに、娘に唐櫃(からびつ=ふたのついた箱)を預け、「これをけして開けてはいけない。開けたら自分は帰ってこない」と注意します。ところが、その唐櫃は、姉たちによって開けられてしまいます。中には何もなく煙が上がるだけでした。娘は天稚彦を追って天界へ行くことになります。

この後、娘は天界で天稚彦の父親からの妨害を受けますが、なんとか乗りこえます。しかし、父親の策略により、二人はその後、年に1回しか会えなくなります。父親が2人の間に瓜を投げつけると、それが天の川となって二人を隔てます。七夕の織り姫、ひこ星伝説のヴァリエーションの一つです。

私がこの話で一番不思議に思ったのは、唐櫃(からびつ)です。開けたら帰ってこられないというのが、まずよく分かりません。そんなに大事なものなら、自分でもっていけばいいじゃないかと思います。そのくせ、中は空っぽですし。ということで、以下、この唐櫃についての妄想を書いてみることにします。

さて、まず、この唐櫃の働きが何かに似ていると思いませんか? 箱であること。開けてはいけないと言われること。開けても煙が昇るだけで中は空っぽであること。そう、浦島太郎に登場する玉手箱です。天稚彦竜神でありますし、この二つの物語には強いつながりを感じます。

とはいえ、この二つの箱には、大きな違いがあります。浦島太郎は玉手箱を開けることで老人になったのに、天稚彦物語の娘は老女になったわけではありません。

娘は、その後、「一夜ひさご」に乗って天界に昇ります。「ひさご」とはひょうたんのことです。「一夜ひさご」とは「一夜で大きく成長するひょうたん」のことでしょう。これは玉手箱の働きとよく似ていませんか? どちらも、開けることで、時間の経過が加速するという共通点が見えます。

ここでなぜ、唐櫃がないと天稚彦が帰ってこられないのか考えてみます。唐櫃を開けると、時間の経過が加速するのでした。ということは、唐櫃を閉じていると時間の経過が遅くなるということです。

実は天稚彦は「帰ってこられない」のではなく、「帰るまでに時間がかかりすぎる」のではないでしょうか。ウラシマ効果というやつで、普通に出かけると、帰るまでに時間がかかりすぎて娘が年をとってしまうため、娘の世界の時間の経過をわざと遅くしている。そう考えればつじつまが合います。なんで、そんなに時間がかかるかというと、それは、やっぱり「天界」に行くからでしょうね。地球から最も近い星、プロキシマ・ケンタウリでも4.22光年先です。神様でもけっこう大変なのではないでしょうか。

ところで、この唐櫃なんですが、実は物語中に既に一度登場しています。娘と天稚彦が初めて出会い、大蛇の中から天稚彦が現れるシーンです。

直衣(なほし)着たる男の、まことに美しきが走り出でて、皮をばかいまとひて、小唐櫃に入りて、二人臥しぬ。恐ろしさも忘れて、語らひ臥しぬ。かくあひ思ひて住むほどに、よろづの物多くてありける所なりければ、取り出だして、無き物なく、楽しきことかぎりなし。

二人は出会い、恋に落ち、なぜか「小唐櫃」の中に入ります。

もし唐櫃に、その外の世界の時間の経過を遅くする働きがあるのなら、この気持ちは実によく分かると思いませんか。天稚彦は、二人で過ごす時間をできるだけ引き伸ばしたかったのではないでしょうか。

天稚彦は『古事記』にも登場する神様です。『古事記』では、葦原中国(あしはらなかつくに)の征討に派遣されたときに、地上の娘に恋してしまい、復命せず、殺されています。なんとも情熱的な神様だったようです。