現在形で未来を表す、生まれて最初に贈られるもの、言葉は「祈り」

日本語には、「オレは残る」などの、動詞の終止形を使うことで強い意志を表す表現方法があります。なぜこんな言い方ができるのでしょうか。今日は、言葉にこめられた「祈り」について考えます。

「オレは残る」わたし意地になって言い張りました。
 アキラがわたしの計画に全く共感していないことで、わたしにはアキラの鉄塔への愛情の薄さが暴露された思いでした。それは同時に、鉄塔を愛するわたしへの理解も薄いことを意味していました。程度の差はあれ自分の共感者であり理解者であり、そして鉄塔調査隊の副隊長だと期待していたアキラの裏切りめいた態度に、わたしは腹立たしささえ感じ始めていました。
「オレはここに残って、明日の朝、また鉄塔調査の続きに出かける。それから、鉄塔の2号や1号に行って、原子力発電所を見るんだ」
 アキラは何も言いませんでした。

銀林みのる『鉄塔武蔵野線

銀林みのるの『鉄塔武蔵野線』です。これがまたええ話なのですが、今回のお題は日本語の終止形です。

引用文中で「わたし」は、「オレは残る」「明日の朝、また鉄塔調査の続きに出かける」などの表現を使っています。別に何ら違和感を感じないと思いますが、よく考えてみると、「残る」「出かける」などの動詞の終止形で、未来に対する意志を表せる、というのはちょっと不思議な感じがします。

英語でも同じようなことができます。例えば、"School begins next week."のように、現在形で近未来を表現することが可能です。英語の現在形は、普遍的真理や、反復される動作などを表すわけですから、そもそも「現在形」という呼び名がおかしいと言うべきかもしれません。

しかし、日本語と英語では若干の違いもあります。例えば、英語の"I win."と日本語の「私は勝つ」は明らかに違います。英語で、単に"I win."と言うのは、何かゲームに勝ったときでしょう。すなわち、"win"という事態が現時点で確定したというときです。"Heads I win, tails you lose."(表ならオレの勝ち、裏ならオマエの負けな)というのは、ルールとして"win"が確定したと言いたいわけです。

一方、日本語で「私は勝つ」と言ったら、そこには強い意志を感じます。この「勝つ」というのは、客観的に確定した事象ではなく、自分は「勝つ」つもりだ、という主観的な決意です。むしろ、祈りに近いものです。

催眠では、暗示文(スクリプト)を用います。暗示文は現在形を使うのが基本とされています。例えば、「私は落ち着いている」などとします。「私は落ち着きたい」「落ち着こう」という言い方は自己暗示に有効ではありません。「〜したい」「〜しよう」という言い方は、現時点ではそうなっていない、ということですから、深層意識は「ああ、自分は落ち着いていないんだな」という暗示にかかってしまいます。

もっとも、この場合は、意志の力で無理矢理「落ち着こう」としているわけではありません。催眠には反作用の法則というのがありまして、意識の上で「〜したい」と思うことは、逆にその実現を邪魔するのです。ですが、言葉の力によって未来をコントロールしようという構造は見てとれます。

日本語の終止形というのは辞書に載っている形であることからも分かるように、言葉の最もプリミティブな形であると言っていいでしょう。そういう形が、意志、願望の表現になるというのは、言葉というものが元々、未来を変えようとする力をもって生まれたということではないでしょうか。

それはすなわち、言霊信仰に他なりません。

「葦(あし)」では縁起が悪いと「葭(よし)」にしてしまったのが最も有名でしょう。「するめ」では「金をする」に通ずるので「あたりめ」、「猿」は「去る」を連想するので「得手公」にしてしまいました。「キネマ」という言い方は「シネマ」が「死ね」に聞こえるのを嫌ったからだとか。

「終わる」では言葉が悪いと「お開き」と言います。餅を「割る」のも「鏡開き」です。「梨」を「ありの実」と言いますが、地名の「亀有」も昔は「亀梨」でした。結婚式では、「ナイフで切る」とは言わず「ナイフを入れる」、「帰る」ではなく「中座する」と言わなくてはいけません。

こと」は「こと」そのものでありました。日本人は、言葉そのものが未来を変える力をもっていると考えていたわけです。

人間が生まれて最初に贈られるものは、名です。アメリカには、150万種もの姓があると言われますが、名の種類となるとぐっと少なくなります。誕生日の守護聖人の名をそのままつける例などを見ても、かの国では「名」というものが単に人物を表す記号としか見なされていないことが分かります。日本では違います。有名な明治安田生命の名前ランキングなどを見ても、日本の名前は実に多彩です。

なにより漢字の選択に、親の強い願いを見てとれます。2005年のデータで、男の子に使われた漢字の上位50傑は「翔大太斗優海拓陽真輝颯悠和人介希隼樹陸也翼駿之夢空蒼歩晴一蓮光貴健愛涼裕吾生琉響遥仁諒奏智輔吹伊俊地」、女の子は「美菜愛優奈花彩心結咲莉音乃羽衣々月陽希萌華香葵子桃日和瑠桜琴央真梨凜里海七舞凛柚葉千夏」です。男の子にはスケールの大きさを、女の子には華やかさ、優しさを求める親が多いようです。

言葉は祈りそのものです。

もちろん言葉は思考の手段でもありますから、たくさんの言葉を組み合わせることで、複雑で抽象的な内容も表現することもできます。しかし、名詞や動詞の言い切りといった、原始的な形態では、「祈り」という言葉の性質が立ち現れてくるということでないでしょうか。