神の居場所のない宇宙、ツンをデレにする理論、「影」にすぎない

ビッグバンが北極点にあたることを説明

宇宙が始まる瞬間、既存の物理法則はすべて破れてしまう。その「特異点」を解消しようとしたホーキングの卓抜した着想とは何か。今日は、特異点の解消における基本的アイデアを見ることで、不条理な世界で生きていくための勇気について考えます。

 これはまた、神についての書物でもある――ひょっとすると、神の不在についての本かもしれないが。いたるところに神ということばが現れる。宇宙を創造するとき、神にはどんな選択の幅があったのか、というアインシュタインの有名な問いに答えるべく、ホーキングは探求の旅に出た。彼自身、明確に述べているように、彼は神の心を理解しようとくわだてたのである。少なくともこれまでのところ、この努力から導かれた結論はまったく予想外のものだった――空間的に果てがなく、時間的にはじまりもなく、創造主の出番のない宇宙。

スティーヴン・ホーキングホーキング、宇宙を語る』に掲載されたカール・セーガンの序文より

『ホーキング、宇宙を語る』は1989年に出版され、この手の本にはめずらしくベストセラーとなりました。

カール・セーガンは、この本は「勇気について教えてくれる本でもある」と述べています。私も同じように思います。以下、「創造主の出番のない宇宙」の意味、ホーキングの考えたこと、それについて私が思うこと、を書いていきます。以下の文章の記述は、数学・物理的に正確なものとはとても言えないので、注意してください。

まず、ホーキングは、古典理論では、宇宙の始まりの時が「特異点」になってしまうと指摘しました。どういうことでしょうか?

時間というものについて考えます。ふつうの意味での「時間」とは、時刻によって表されるものでしょう。時刻というのは数字ですから、我々のイメージする時間とは、数直線、すなわち1本の線によって表すことができるものです。その「時間直線」上のある1点が現在であり、現在によって隔てられた両側をそれぞれ、過去とか未来とか呼ぶわけです。

ただの数直線は、左右に無限に続いており、果てはありません。しかし、宇宙の時間がつくる時間直線のほうは(少なくとも過去に対しては)有限です。ビッグバンと呼ばれる「最初の時」があることが分かっており、それより「先」はありません。つまり時間についていうと、宇宙はビッグバンの時点でぶつっと切れてしまっていることになります。

この時間直線の先っぽの点が、他の点と比べて「普通でない」ことは間違いありませんが、ここではそのことをもう少し詳しく考え、「特異点」の定義をしておきます。

「∞」という字について考えます。この字には1つだけ特異点があります。2本の線が交差する中央の点です。では、この点が「特異点」であるということを数学的にはどうやって定義すればいいでしょうか。

基本となるアイデアは、顕微鏡で思いっきり拡大することです。例えば、∞という字の左端の点を顕微鏡で覗きます。倍率が低いうちは【( 】のように見えているはずですが、どんどん倍率を上げていくと、そのうちまっすぐな直線に近づいていきます。中央の点以外のすべての点でも同じことで、倍率を無限大にすると直線と見分けがつかなくなります。

しかし、中央の点だけは違います。この点だけは、どこまで倍率を上げても【 X 】のように見えるばかりで直線になりません。こういう点を「特異点」と呼ぶわけです。時間直線の始まりの点は、この意味での特異点になっています。

特異点以外の点は、「数直線と同じようなものとみなせる」ということです。要するに常識が通用するのです。ところが特異点ではそうではありません。

ホーキングは宇宙の始まりの点が特異点であること、そこでは既存の物理法則はすべて破れることを主張しました。すなわち、宇宙が創造された瞬間だけは、人間の知性の支配が及ばないということです。そこには、神様が存在して好き勝手できる可能性が残されていることになります。

ホーキングは、この特異点を「解消」しようとしました。

まず宇宙全体を大きな円盤のようなものだと想像してください。宇宙はビッグバンからスタートしましたから、一番最初の宇宙は、ただの1点です。それが急速に半径を拡大し、現在の大きさになります。

ここで、始まった瞬間の宇宙、誕生1秒後の宇宙、2秒後の宇宙……と順に見ていくと、次第に大きくなる円盤が何枚も手に入ります。この円盤を積み上げてみましょう。ビッグバンの瞬間の宇宙(というか、ただの点ですけど)が一番上、現在の宇宙(最大半径の円盤です)が一番下になるように積み上げると、できるのは、何億枚も積み重ねられた鏡餅。1枚1枚がものすごく薄っぺらいとすると、円錐形(とんがりコーンのような形)ができることが分かります。

この状態でも、まだ宇宙の始まりの点は特異点です。実際、今つくった、宇宙の歴史を一望できる円錐形においても、頂点の部分、とんがり帽子の先っぽの部分はツンツンしています。

ところが、インフレーション・モデルと呼ばれる理論では、宇宙は誕生直後にすさまじい速度で膨張したとされます。最初、1点だった宇宙は、いっきょに膨張し、徐々にその膨張速度を落としていきます。このような経過をたどった宇宙を、さきほどと同じように、円盤に見たてて積み上げてみます。一応アップロードした図は、この説明のつもりです。手抜きにもほどがある図で申し訳ありませんが。

さて、この積み上げられた円盤は、まるで地球のような球形をしています。ビッグバンの瞬間は、地球でいえば北極点にあたることになります。ある緯度線で地球をスライスした断面が、ある瞬間の宇宙にあたるわけです。

ここで驚くべきことに、特異点が消えています! 時間の始まりは、北極点にあたるわけですが、地球上の北極点はただの1点に過ぎず、他の地点との違いはありません。それと同じように、このモデルにおいては、時間の始まりを他の点と区別する意味はありません。

時間直線で考えた場合、宇宙の始まる点は針の先ですから、さわるとツンツンしていたわけですが、このように球形になってしまうと、北極点をいくらなでてもまったく抵抗はなく、とがったところはありません。つまり、特異点解消理論とは、ツンをデレにする理論だったんだよ!(AA略

ツンデレ云々はともかく、このモデル上で通用する物理法則があれば、それはビッグバンの瞬間でも通用するはずです。そうなれば、宇宙のすべての地点、すべての時間から、神様が自由に活動できる余地がなくなってしまった、ということになります。この宇宙に、神の居場所はないのです。

さて、この特異点解消のアイデアの本質は何か考えてみます。

それは、時間と空間をいっしょくたにして考えた点です。宇宙は3次元空間、それに時間が1次元加わっています。ここでは、時間を特別扱いせず、空間と同じ座標軸の1本としてあつかい、宇宙の歴史全体を一目で見えるようにしたわけです。ただし、我々には4次元をイメージするのは難しいので、宇宙を円盤に見たて、空間の次元を1つ落としたのでした。

時間と空間をいっしょくたにするためには、4次元が必要です。3次元の中で考えているだけではダメだった、ということです。すなわち、次元を上げて、その中に対象を置いて考えることによって、特異点が解消されたということです。

これは、実は一般の特異点の解消においても同じです。例えば、さきほどの「∞」の例について、中央の特異点を解消する方法を考えましょう。

広中平祐という数学者は、数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞特異点解消定理で受賞しています。その基本的なアイデアは、次のようなものです。

「∞」という字は2次元平面上にあるわけですが、これを道路のようなものだと考えることにします。そうすると、中央の特異点で道路がぶつかってしまい危険です。こういうとき、普通はどうするでしょうか? そう立体交差にすればいいんですね! つまり、2次元で考えるのではなく、3次元で考えればいいというわけです。

元々の「∞」は2次元平面上にあったわけですが、それは、立体交差で作った3次元空間上の道路の「影」であったと考えるわけです。広中の業績は、特異点をもつどんな形でも、それは、それより高い次元をもつ、ある特異点のない形の「影」にすぎない、ということを証明したことです。

特異点は、ふつうの点と同じあつかいができないのですが、1つ次元を上げてみることで、他の点と同じようなあつかいが可能になってくるわけです。

このことを、人生における比喩として考えると、なかなか示唆的です。我々は、人間関係においても、仕事においても、「特異点」としかみなせないような対象にぶつかることは、しばしばです。ふつうは、そういうときは、イライラしながら、特別扱い、例外処理をするわけですが、我々の世界に対する認識の「次元」をあげることによって、それが特異点でなくなる可能性があるということです。というか、広中はそれが、必ずできる、ということを証明したのです。

そうなると、特異点というものは、我々の世界の認識のありようを豊かにしてくれる可能性をもった点ということになります。人生にはさまざまな不条理があります。しかし、実は、それは我々の思考の座標軸を1本増やす、扉であるのかもしれません。その「特異点」は、「影」にすぎないのです。