『ダ・ヴィンチ・コード』、黄金比、オウムガイの殻

 幸い、最近、単に複雑な形、でたらめな形といわれてきた自然界の非定形の形に、ある秩序があり、それが黄金比とも密接な関係があることが明らかとなり、改めて、自然の形のもつ美しさを再認識したのである。ここで私たちはアートやデザインなどの造形活動ばかりでなく、日常生活における、美しい形に対する感性を磨く上で、自然は人類共通の師であることを教えられたのである。

三井秀樹形の美とは何か』より

ベストセラーとなった『ダ・ヴィンチ・コード』は一級のエンタテインメントでした。私も休日を一日潰しました。その『ダ・ヴィンチ・コード』で、黄金比がとても印象的にあつかわれていたので、読んだ方には記憶されているむきも多いと思います。

主人公ラングドンが、ハーヴァード大学の授業を回想するシーン。彼は、自然界には黄金比があふれており、黄金比こそ「宇宙で最も美しい数値」だと語ります。例えば、へそから床までの長さと身長の比は黄金比だそうです。

小説中で、ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」が非常に印象的に用いられており、ラングドンも、「(ダ・ヴィンチが)人体を形作るさまざまな部分の関係が常に黄金比を示すことを、はじめて実証した」などと言っていますから、当然この人体図も黄金比にそっているのでしょう。

ところが、困ったことに、私は昔から、どうしてこの人体図が黄金比と関係あるのかさっぱり分かりません。この図は「人体は円と正方形に内接する」という命題を表現しているらしいですが、それだけでは人体が黄金比になるとは結論できません。実際に、この図を座標平面において立式してみると分かりますが、頭の大きさが自由変数として残っているので、人体各部の比をある程度いい加減にとっても、頭の大きさを変えることでこの図に合うように調整できてしまうのです。要するに、この図に明示される補助線だけからは、黄金比は出てきません。

ウィトルウィウス的人体図」は、美しい人体のプロポーション(ちなみにproportionには「比」という意味もあります)として最も有名な図です。そこには、正方形とか円とか数学的な何かを連想させる線も引いてあるわけですが、それらは黄金比とは無関係のようです。どうも、「美しい人体」がその構造上必然的に「黄金比」になる、ということはなさそうです。

では、逆に「黄金比」であれば「美しい人体」かというと、これも疑わしい。もしそうなら、女性週刊誌などで、「夏までにつくる最強の黄金比ボディ!」などの特集が組まれてもよさそうなものですが、私は寡聞にして知りません。ミロのヴィーナスが黄金比にしたがって構成されているのが事実だとしても、そのことがミロのヴィーナスの美しさの本質について、何らかの説明を与えているとは思えません。

となりあうフィボナッチ数の比が黄金比になったり、オウムガイの殻の形に黄金比が隠れているのは、それらが自己相似の繰り返しで成長する構造をもつからでしょう。これは構造上の必然です。このような内部の秩序の反映として現れる黄金比には驚嘆させられますし、そのような構造の把握こそ数学の本道でしょう。

ですが、人体の比が「黄金比」として指摘される場合、そういう内部の構造は特に省みられることもなく、単に表層に現れた長さの関係にのみ注目していることが多いような気がします。それ、何か意義があるんですかね。お前ら、黄金比いいたいだけちゃうんか、と。