竹島、想像力、午前八時一五分

午前八時一五分は
毎朝やってくる

石垣りん詩集』「挨拶」より

竹島周辺の海洋調査をめぐって日韓の緊張が高まっていた問題は、外務事務次官協議を経て、両国がそれぞれ妥協するかたちで一応の決着を見ました。

協議が合意にこぎつけたとき、掲示2ちゃんねるの反応は、おおむね「がっかり」という感じだったと思います。ほとんどの人は、交渉が決裂し、日本が調査船を出し、韓国との摩擦がさらに増す展開を期待していたようです。もちろん、2ちゃんねらーの政治的スタンスの偏りを考えれば、これは予想できた反応ではあります。

正直なところ、私の心中にも、日本側の提案どおりの解決となったことに安堵しつつ、肩透かしをされたような思いが生じたことは間違いありません。まるで、台風の前夜、予想される被害など一切頓着せず、心高ぶらせた子供のようでした。

今回の騒動の最中、各メディアの反応には多少の差異こそはあれ、韓国を擁護する意見がほとんどなかったように思います。国際法を無視した「拿捕」という選択をとることまで公言した韓国のヒステリックな反応は、多くの日本人の想像の範疇を越えていた、ということでしょうか。

こうした自分の心の動きを追ってみて思うのは、「想像力の欠如」です。いや、心情的には「欠如」という言葉は使いたくない。なぜなら、率直に言って、私には、韓国人の考え方を理解することが「無理だ」と思いたくなるときがあるからです。正しくは「想像力の限界」なんだっ、と言いたくなります。

今回引用した石垣りんの詩は、原爆の被災者に対してのものです。最後の連がよく知られているかもしれません。

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く 私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

「油断していた」という言葉が、これほど美しい形容であったとは信じられません。まさしく、詩人にしかできない仕事です。

この詩は私の目にうつる風景を変えてしまいました。夕暮れが近づく休日の駅前で、たくさんの家族の笑顔とすれ違いながら、ふと空に浮かぶ雲を見た瞬間、そこに灼熱の光球が出現し、半径4kmを一瞬にして焼き払うのかもしれない。それは別に恐怖というわけではなく、ただ、自分のいる世界が、そういう世界と地続きなんだなあと、思うのです。

60年前、日本は戦争をし、敗北しました。当時の日本が行った選択を糾弾し、断罪する声を、私は違和感をもって聞きます。そこに想像力の欠如を感ずるからです。私は今回、韓国の立場からものを考えることができませんでした。大義は日本にあると感じました。そして、それは戦争を望む心まであと一歩でした。それと同じく、「戦争を始める人間なんて理解できない」と思ったのなら、それは戦争を始める心と地続きです。

やはり、想像力の欠如こそが、恐い。では、どうすればいいのか。簡単な道はなさそうです。しかし、自分のやっている、「教える」という仕事が少しは役に立つのではないかと思って、がんばることにします。