千分の一秒、「今」とはいつか、「機」に殉ずる

 もういいよ、おじいちゃん、と僕は胸の中で何度も呟いた。
 おじいちゃんに教えられた通り、僕は一生嘘はつかない。身の丈以上の見栄は張らない。口がさけても、愚痴は言わないから。
 世界が赤や青や黄色の色で塗られているなんて、信じないから。世の中の風景や人物は、みんな光と影のモノクロなんだって、僕はちゃんと知っているから。
 動いているということは千分の一秒ずつ止まっていることの連続なんだろ。だから人間は、一瞬をないがしろにしちゃいけない。千分の一秒の自分をくり返しながら生きていくんだ。おじいちゃんに教えられたそんな難しいことも、僕はもうちゃんとわかったから。
 もういいよ。おじいちゃん。

浅田次郎霞町物語』「卒業写真」より

今、このときを大切にせよ、という教えが人類にとって捨てられるべきはしごになる日は当分こないようです。

例えば、禅の「日々是好日」という言葉。玄侑宗久禅的生活』によれば、この「好日」は、他の日との比較によって判断される「よい日」はありません。昨日の記憶や、明日への期待を切り離して、今日という一日がどんな日であれ、「よい日」であるととらえる思考を教えています。

また、例えば、Lifehacks。David Allenは『GTD』において、「あなたの心には過去とか未来とかの感覚がありません」と書き、コントロールできない過去や未来へのとらわれが生産性を落とすことを指摘し、頭の中を「空っぽ」にする必要性を説いています。

浅田次郎『霞町物語』で、写真師伊能夢影が死を前にして孫の「ぼく」に伝えた言葉「動いているということは千分の一秒ずつ止まっていることの連続なんだ」。私は、この言葉を、今この瞬間のかけがえのなさを鮮烈に教えてくれる、卓抜した比喩であると感じました。

不連続な一瞬のくり返しからなる世界というと、ライフゲームを連想します。ライフゲームの中では、現在地上に存在しているコンピュータと同じ(厳密にはそれ以上の)性能をもつパターンを作れることが分かっています(ウィリアム・パウンドストーン『ライフゲイムの宇宙』は、このパターンを具体的に構成した、めちゃくちゃ面白い本です)。こういう話を聞くと、我々のすむ時空がひょっとして不連続なのかもしれないと妄想にふけりたくなります。

現代の物理学には、「最小の時間」とされるものがあります。プランク時間5.391×10^{-44}秒)です。いい加減にまとめますが、プランク時間は、光がプランク距離を走るのにかかる時間です。不確定性原理によれば、プランク距離以内にある二つの量子の位置を区別することはできないので、宇宙最速の光をもってしても、プランク時間内に「動く」ことができず、プランク時間より小さい時間は「計る」ことができません。

トール・ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』に面白い実験が紹介されています。アメリカの神経生理学者ベンジャミン・リベットによると、人間が何かを「決意」してから、それを「意識」するまでに、0.5秒のタイムラグがあるそうです。つまり、我々が何かをしようと「意識」する0.5秒前に、既に脳電位が変化している。では、人間にとって「今」とはいつなのでしょうか?

下條信輔〈意識〉とは何だろうか』には、脳の特定のニューロンを刺激しても、想起される「記憶」が毎回異なることから、すべての記憶は再構築されるという意味のことが書いてあります。実は我々が「今」という瞬間を過去と未来に連結したものと感じるその感覚は、「今」再構築された錯覚なのかもしれません。

「今、この時しかないという『機』に殉ずる」と教えたのはアカギですが、後悔や不安にわずらわされる我々凡人が、今この時に還るのは難しいことです。ただ、過去とか未来とかいうものは、我々がこの世界を理解するための「仮説」に過ぎない、ぐらいのことは思っておいてもよさそうです。