強い人間原理、究極の質問と究極の答え、だから生きてください

宇宙はなぜこんなに美しいのでしょうか。宇宙はどうして存在しているのでしょうか。そして、私たちはなぜ、ここにこうして存在しているのでしょうか。今日は、強い人間原理を濫用して、これらの疑問について考えます。

 あしの葉の上にいるかえるは、いぜんとして、大きな口をあけながら、言っている。
「空はなんのためにあるか。われわれかえるの背なかをかわかすためにあるのである。したがって、全大空はわれわれかえるのためにあるのではないか。すでに水も草木も、虫も土も空も太陽も、みなわれわれかえるのためにある。森羅万象がことごとくわれわれのためにあるという事実は、もはやなんらのうたがいをもいれる余地がない。自分はこの事実をきみたちの前に明白にするとともに、あわせて宇宙をわれわれのために創造した神に、心からの感謝をささげたいと思う。神の御名はほむべきかなである。」

芥川龍之介「蛙」より

芥川龍之介の佳作「蛙」です。物語では、この後へびが現れて、カエルを食べてしまいます。しかし、カエルたちは、それは我々が増えすぎないようにとの神の思し召しである、と無理矢理納得するのです。

ここで行われているのは、神の存在証明のうち、「目的論的証明」と呼ばれるものです。宇宙の仕組みはあまりに精妙であり、誰かが何かの目的で設計したと考えるしかない、その誰かが神である、という議論です。

この物語ではカエルが主役ですが、それを人間に変えたところで、話の本質は変化しません。現在分かっている宇宙の法則は、人間という生物を生み出すために、ほとんどありえないほど精確に最適化されているように見えます。宇宙には、光速度プランク定数など、他の定数から導くことができない物理定数が20個ほどありますが、それらの値が少しでも変化したら、この宇宙はまったく違ったものになり、人間は現れなかった可能性が高いそうです。

例えば、水が氷になると体積が増えますね。しかし、液体は、固体になるとき体積が小さくなるのが普通のはずです。なぜ水だけが例外なのでしょうか。

水分子は、酸素原子と水素原子が結合しています。酸素原子はL殻にあと2個の電子を入れることができますが、その2個を水素原子からもらっています。いわゆる共有結合です。この共有される電子は、やや酸素原子のほうに偏った位置にきます。なぜなら、酸素原子のほうが電子を引きつける力、電気陰性度が強いからです。電子はマイナスの電荷をもちますから、酸素原子はマイナス、水素原子はプラスの電荷を帯びることになります。その結果、固体になり水分子の運動量が落ちてくると、プラスとマイナスの電荷どうしが引き合い(水素結合)、きれいな結晶構造(六方晶)をつくります。六方晶は、液体のときよりもスカスカなのですが、水素結合が非常に安定しているため、がっちり固まってしまいます。そのため、氷は水よりも体積が大きいのです。

このように、氷が水より体積が大きいのは、けっして当たり前のことではなく、水分子の構造や電気陰性度の大きさなど、条件がいくつもそろって初めて成り立つことです。

逆に、氷のほうが水より体積が小さかったら、何が起きるでしょうか。この場合、いったん生まれた氷は水の底に沈んでいくことになります。水の底は太陽の光があたらないので、氷は溶けることがなく、海は凍りついてしまうでしょう。また、水は、水素結合のせいで比熱が大きく、温度が変化しにくいため、生物という存在を安定させるために有利です。水素と酸素という宇宙に豊富にある物質が材料であることも手伝って、生物にとって非常にありがたい物質です。

さて、なぜ宇宙はこのような都合のよい性質をもっているのか? という疑問に対して、逆に「都合がいい性質を利用して我々が存在しているのに過ぎない」と答えるのが、「弱い人間原理」と呼ばれるものです。

例えば、地球が太陽から約1億5000万キロの位置にあるのは、この位置でないと、水が沸騰または凝結してしまうからです。しかし、地球はたまたまこの位置にあり、我々は、無事に進化を遂げました。そして、自分たちの暮らす惑星が恒星から絶妙の位置にあることに気づいて、驚嘆しているというわけです。

「強い人間原理」というものもあります。これは人間を生み出すように宇宙の法則自体が選ばれた、と主張するものです。例えば、この宇宙と少し違った物理法則をもつ宇宙が他にもあり、その中でたまたまうまく生物が進化できる宇宙に我々は住んでいるのだ、と考えるわけです。これは面白い考え方です。

「宇宙がこのようになっているのは、人間を存在させるためである」という論法が「人間原理」ですが、考えてみると、この「人間」のところには、今現在宇宙に存在しているものであれば、何を入れてもよいはずです。例えば、「宇宙がこのようになっているのは、カエルを存在させるためである」という「カエル原理」も成立するはずです。これなら、カエラーの方々も満足でありましょう。

さらに「カエル」のかわりに「宇宙」を代入してみます。「宇宙がこのようになっているのは、宇宙を存在させるためである」というわけですね。これは「宇宙原理」と呼べそうです。つまり、「宇宙原理」によれば、宇宙は今のような性質でなければ、存在することができなかったということになります。

となると、「究極の質問」は、「なぜ宇宙は存在しているのか」という質問になりそうです。宇宙が存在している理由が分かれば、宇宙がなぜこのような姿なのかが分かるということだからです。さて、では、宇宙はなぜ存在するなどという面倒なことをするのでしょうか。

「宇宙がこのようになっているのは、人間を存在させるためである」という人間原理ですが、「宇宙がこのようになっている」の「このように」は、現在の宇宙の性質を指している言葉です。「宇宙は存在する」というのは宇宙の性質です。また「あなた」は「人間」です。したがって、この原理から次のような命題が演繹されるでしょう。これは「究極の質問」に対する答えになっています!

「宇宙が存在するのは、あなたを存在させるためである」

さて、今度は「宇宙原理」を思い出してください。「宇宙がこのようになっているのは、宇宙を存在させるためである」というものでした。「宇宙がこのようになっている」の「このように」の中には「あなたが存在する」という性質もあります。であれば、次のような主張が演繹されるはずです。これも、もう一つの「究極の答え」と言えるでしょう。

「あなたが存在するのは、宇宙を存在させるためである」

だから、生きてください。